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韓国芸術団の平壌公演 秘密警察が観客の人選・歓声まで徹底統制 そのからくりとは?

石丸次郎アジアプレス大阪事務所代表
4月3日の韓国芸術団公演に動員された北朝鮮の人々(わが民族同士HPより引用)

韓国芸術団の平壌公演を観覧した金正恩氏が歌手たちと記念写真を撮るなど、その歓待ぶりが韓国でも大きく報じられた。だが実際のコンサートは、北朝鮮で最高の統制・警備と演出が厳重に施されたもので、観客が感じたままに南側の歌に反応することはありえない、と平壌で長く暮らした脱北者キム・クッチョルさんは言う。4月27日の首脳会談を前に、南北当局双方が大々的に和解ムードを演出した今回のイベントについて、キムさんの見方をまず紹介したい。

◆金正恩氏はウソをついた

「わが人民が南側の大衆芸術への理解を深め、心から歓呼している姿を見て、感動を禁じ得なかった」

金正恩は、4月1日に東平壌大劇場で、韓国の芸術団の公演を観覧した後、こう述べたと労働新聞が報じた。

金正恩のこの言葉はウソである。まるで北朝鮮の民衆が、韓国の大衆芸術を見て自由に思いのまま反応したという発言だが、平壌で長く暮らした経験を持つ者として、これはまったくの虚偽でお話にならないということを申し上げたい。

韓国メディアが放送した南側芸術団の公演映像を見ると、北朝鮮の観客が拍手をしたり、立ち上がって歓声を送る場面が映っている。だが、これは決して観客の自由な意思表現ではない。なぜなら、この公演は金正恩が参席した「一号行事」だからだ。「一号行事」とは最高執権者が参加する行事のことを言い、北朝鮮で最高の統制・警備と演出が厳重に施される。

(参考記事 <40代女性インタビュー> 金正恩氏を「あの人」と呼ぶ庶民 「政府を信じる人はもういませんよ」(写真3枚)

「一号行事」参加経験者として申し上げると、「一号行事」に参加するすべての人間は、自分の判断で勝手に席から立ち上がったり拍手することは一切禁止される。会議や芸術公演など、イベントの性格によって多少の違いはあるだろうが、参加者は事前に秘密警察である国家保衛省の「行事処」要員による行動要領の指示を受ける。行事において誰がどのように行動するか、すべて事前に決められる。

拍手をしたり、立ち上がって歓声を送るタイミングなども指示されるのだ。そして、保衛要員たちがそれを監視する。まして公演にはテレビカメラが入っていたわけで、観覧した人々は、後に批判を受けないよう細心の注意を払ってコンサートを見ていたはずだ。

(参考記事 <北朝鮮>金正恩に逆らって処刑された張成沢 写真に現れていた粛清の理由)

◆参加者は徹底して選抜

韓国メディアは、高位幹部と平壌市民1500人ほどが公演を観覧したと伝えた。彼・彼女らは一般の平壌市民なのか。公演を見るために自由に集まった人たちなのか。違う。「一号行事」の参加者は、事前に当局が徹底選抜して集められた「組織群衆」だ。 

大きな集会の行事ではなく、1500人程度の観客が出席したというから、おそらく、北朝鮮の文化芸術関係者や特定の幹部など、厳密に選抜された人間だけが出席したものと考える。公演が金正恩が参加する「一号行事」でなかったとしても、韓国から来た芸能人のコンサートを住民が自由に観覧するというのは、北朝鮮では絶対にありえないことだ。

3日に柳京鄭周永体育館で行われた二回目の公演は、1万2000席が観客でいっぱいになったと報じられたが、観客の固い表情と同じような反応などを見ると、やはり選抜して集められた「組織群衆」であることは間違いないと筆者は見ている。

私が平壌に暮らしていた2002年、韓国の有名ロックスター、ユン・ドヒョンのYBバンドが平壌に来た。私の知人が保衛部のコネを使って密かにコンサート場に入って観覧したのだが、許可がなかったことが発覚し大問題になった。幹部の知人の父親が奔走してなんとか処罰を受けずに済んだ。

中国から入る商品を通じて外部文化が大量に流入している。ミッキーマウスのTシャツやカバンもよく見かけるようになった。2013年8月北朝鮮北部の朝中国境都市にて撮影アジアプレス
中国から入る商品を通じて外部文化が大量に流入している。ミッキーマウスのTシャツやカバンもよく見かけるようになった。2013年8月北朝鮮北部の朝中国境都市にて撮影アジアプレス

◆韓国文化は独裁維持への有害物

このユン・ドヒョンの音楽への平壌の若者たちの反応はすごかった。ユン・ドヒョンが歌った「お前を送って」という曲が流行し、親しい仲間たちが集まる場でたくさん歌われた(もちろん公開的な場所ではできない)。

北朝鮮当局は、なぜ韓国の芸術公演を自由に見せないのか? 執権者に対する崇拝思想で一色化された北朝鮮芸術と韓国の文化はまったく異質のものだ。韓国の文化や情報に接して民衆の意識が変化してしまうことを、当局は何より恐れ、嫌っているためだ。

(関連記事 <北朝鮮写真報告>キティにドラえもん、ミッキーまで拡散 止まらぬ「敵国」文化の浸透(写真4枚)

金正恩政権が本音では韓国芸術団をどう見ているかがわかる記事が、一回目の公演が行われた1日に労働新聞に掲載された。「資本主義社会においては、小説、映画、音楽、舞踊、美術などは、すべて腐ったブルジョア生活様式を流布させて人々を堕落させ、階級意識をマヒさせる有害な作用をする」と主張した。住民の思想動揺や韓国に対する憧れが拡散することを警戒していることがよくわかる。韓国芸術団の公演は、それほどの影響力を持っているのだ。

(関連記事 鉄の統制潜り抜け北朝鮮で大流行した韓流ドラマ 秘密CD工場長の告白)

4月27日に金正恩-文在寅首脳会談が行われる見込みだ。しばらくの間、北朝鮮側も「民族の和解と協力」の雰囲気を醸成しようとするだろう。それは韓国に対する警戒が緩み、洗練され先進的な韓国文化に対する憧れにつながりかねない。金正恩政権はそれを十分に理解しており、韓国情報の流入と拡散をできるだけ食い止める「予防措置」を、同時に施しているのである。(敬称略)

(関連記事 <北朝鮮内部>外交で笑顔の金正恩氏 裏で住民統制の徹底を開始していた)

平壌に長く住み、金正日氏が参加する様々な「一号行事」に動員された経験を持つキム・クッチョルさんならではの見立てである。

アジアプレス大阪事務所代表

1962年大阪出身。朝鮮世界の現場取材がライフワーク。北朝鮮取材は国内に3回、朝中国境地帯には1993年以来約100回。これまで900超の北朝鮮の人々を取材。2002年より北朝鮮内部にジャーナリストを育成する活動を開始。北朝鮮内部からの通信「リムジンガン」 の編集・発行人。主な作品に「北朝鮮難民」(講談社新書)、「北朝鮮に帰ったジュナ」(NHKハイビジョンスペシャル)など。メディア論なども書いてまいります。

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