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毎日新聞「リストラ」報道から考える、新聞記者の未来像

石戸諭記者 / ノンフィクションライター
毎日新聞紙面(写真:Masato Ishibashi/アフロ)

 「ダイヤモンド」編集部が7月2日に報じた(オンライン版)、毎日新聞の早期退職者募集報道が波紋を広げている。同誌の報道などによると、経営陣は社員の1割にあたる200人規模の「事実上のリストラ」に踏み切る方針を打ち出した。さらに地方の支局網を整備し、人員を減らして取材にあたる方針も示されたという。

人員削減をどう見るか?

 私は2006年〜2015年末まで毎日新聞で記者をしていた。今回の報道は率直に言って、まったく驚きはなかった。どこから人員カットが始まるかについての議論こそあれ、いつかは来るだろうと誰もが思っていたからだ。部数減に歯止めはかからずーもっとも減少は毎日新聞に限ったことではないがー、ピーク時から約200万部減らし、昨年時点で約265万部である。

 経営側からすれば、削りやすい人件費の削減はやむなしとなることは、当然のことではある。そうなれば給料を減らすか、人を減らすのどちらかしかないだろう。インターネットのニュース番組「Abema Prime」から出演依頼があり、「新聞はオワコン」ではないか? 果たして未来があるのか?という質問を受けた。

新聞はオワコンなのか?

 よく聞かれることなので、回答は決まっていた。この手の質問には2つの問いが混同されていると答えている。つまり、「新聞社」の未来を考えることと、「記者個人」の未来、キャリアを考えることは全く違うということだ。私は経営者として毎日新聞に関わったことはないので、新聞社の経営にあれこれ言う資格はない。私が発言できるのは、キャリアにつながる「新聞記者」の未来像だ。

 一般的に全国紙の記者は、最初に地方支局配属となり、事件取材や高校生のスポーツ(毎日新聞なら高校野球やラグビー)を通じて、取材のいろはを学ぶ。各県オリジナルで作る「県版」を中心に記事を書き、地方発で各本社ごとに発行する一面や社会面など「本紙」を飾る記事を目指す。20代の頃は初任地が地方なのは理不尽だと思っていたが、今は現場を回って、地元県警の警察官を相手に取材を重ねることに一定の意味があったと考えている。

 事件を通じてファクトの大切さが叩き込まれ、小さな事件であっても捜査側、被害者側、加害者側の主張を多角的に取材することで、事象を立体的に捉える力を養えるからだ。

 一方で、これも今だから思うが、紙面づくりには無駄も少なくない。前例を踏襲することを第一に考え、日々のニュースを追いかけることで汲々となっているように見える。いまの新聞記者、特に20代、30代に必要なのは、ファクトの大切さを守りつつ、できることとできないことをはっきりさせることだと思う。

 過去の人的に恵まれていた時代に基づく紙面づくりを継続すれば、現場が疲弊するのは当然のこと。だが、発想を変えてみたらどうだろうか。私が岡山支局時代に出会い、師事していたデスクは東京地検を担当した王道の事件記者でありながら、週刊誌記者も経験していた変わり種だった。

新聞で学んだ、基礎の大切さ

 彼は岡山支局に着任早々にこう宣言した。

「今の新聞記事はつまらない。読者に読ませようという気がないものが多すぎる。週刊誌に比べて、これだけ記者がいるのに、つまらないのはもったいないことだ。これまでの記事の書き方にとらわれる必要はないので、読み手がおもしろいと思える記事をどんどん書いてほしい」

 そして、私にはこんなことも言っていた。

「読まれる記事を意識しろ。それは3つある。どこよりも早く書く特ダネ、視点や切り口を変えた記事、事象を深掘りする記事のどれか。俺は他紙に載っていなければ全部特ダネだと思って掲載するけど、読まれない記事は認めない。その代わり、おもしろいと思わせる記事だったら新聞っぽくない記事でも載せる」

 新聞記者だけでなく、インターネットメディアの立ち上げにも関わり、独立した今となっても、彼の言葉は非常に正しいと思っている。物は考えようで、毎日新聞がリストラしたところで、ネットメディアに比べても、雑誌に比べても圧倒的に多い記者と読者を抱えているのは紛れもない事実である。今までのルーティンワークを見直し、新しい紙面づくりを模索してみたらメディアとしての可能性はまだまだ広げることはできる。

 記者個人にとっても今という時代は決して悪くはない。インターネットは記者を自由にし、記者という仕事が持つ可能性を拡張する。字数も自由、写真の枚数も自由、動画を組み合わせることもでき、読者に届けられるツールは格段に増えた。その自由さを生かせるかは考え方次第だ。

 キャリアという視点から考えてみても、どこに転職するにしても紙の媒体を持ち、インターネットでも存在感がある「新聞」というメディアで、どんな記事を書いたか。積み重ねた事実がすべてを決める。

インターネットと記者の未来

 未来を考える上で大事なのは、基礎的なことだが抱えている読者を満足させ、さらにインターネットを通して、新しい読者を開拓することに尽きる。組織ジャーナリズムでしかできないこと、そのメディア、その記者でしか書けないことを求めるニーズはインターネット時代にあっても決して少なくないのだから。

 一言付け加えておく。現状、インターネットしか持たないメディアは経営規模的にも、取材網も新聞の代替にはなりえない。身の丈にあった経営ができているのはほんの一握りで、経済的に盤石なメディアはとても少ない。仮にネットメディアへの転職がうまくいっても、その先の保証は新聞社以上にないというところがほとんどだ。

 毎日新聞にいた時、「自分はなんて凡庸なんだ……」と常々感じてきた。

 特ダネ記者、名物記者がたくさんいて、私はまったく太刀打ちできない思ったことが会社を離れた理由の一つでもある。紆余曲折を経て、フリーランスでも仕事ができているが、それもこれも新聞で鍛えられ、自分の限界を知ったからに他ならない。もし、今のインターネットメディアからキャリアを始めても、ここまでは成長できなかっただろう。

 リストラ、組織再編を契機に考えるべきは「割り切り」だ。経営的に新聞社が苦しくなっても、「記者」という職業は無くならない。記者が最大限に力を発揮できる環境をどう整備するかが業界の未来も決めていく。凡百のネットメディアとは比較にならない優れた人材を抱え、歴史を持つ新聞社だからできることはまだまだある。

記者 / ノンフィクションライター

1984年、東京都生まれ。2006年に立命館大学法学部を卒業し、同年に毎日新聞社に入社。岡山支局、大阪社会部。デジタル報道センターを経て、2016年1月にBuzzFeed Japanに移籍。2018年4月に独立し、フリーランスの記者、ノンフィクションライターとして活躍している。2011年3月11日からの歴史を生きる「個人」を記した著書『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)を出版する。デビュー作でありながら読売新聞「2017年の3冊」に選出されるなど各メディアで高い評価を得る。

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