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「何一つ理解できない」と批判されても… 若きボブ・ディラン、世界を変えた貫く力

石戸諭記者 / ノンフィクションライター
1960年代のディラン(写真:Shutterstock/アフロ)

 僕も含めたディランファンはその存在を語り、邦訳の刊行を待ちわびていた。それが本書だ。日本語版で値段は7800円+税、総ページ数は800P以上でケース付き。なぜ、そこまでの分量が必要なのかと疑問を持つ人は少なくないだろう。

 最初に答えを示しておけば、ノーベル文学賞を受賞して、77歳にしてフジロックの大トリを務めるディランという「詩人」の切り開いた新しい道を書き尽くすのに必要な分量だから、となる。

 ロバート・シェルトンによる大評伝はディランの歴史上、もっともインパクトを放った1960年代~70年代を中心に彼のすべてを解き明かそうとする。シェルトンは最初期からディランに注目し、彼のプライベートや肉親も取材しながら「ボブ・ディラン」とは何者なのかに迫っていった。

 本人へのインタビューも難しくなってしまった現代において、本人のみならず肉親まで取材したという事実だけでこの本の価値はあるのだが、これはファン向け。

「理解できないのなら考える必要はない、あなたに向けて書かれたものじゃないから」

 最も熱量が高いのはディラン自身の言葉だ。例えばロックの歴史に残る名曲「Like A Rolling Stone」が収録された『追憶のハイウェイ61』(1965年発表)リリース後の会見での一コマを抜き出しておこう。

 フォークシンガーとして絶大な人気を獲得しながら、そのスタイルを変化させたディランはロックバンドを従え、新しい道を進んでいた。彼は初期のファンから批判も浴び、メディアは「時代のアイコン」を執拗に追いかけた。そんな年の出来事である。

 インタビュアーは問う。

「あなたは自分の音楽で何を言おうとしているのですか? 私には一つとして理解できませんが」

 強烈な批判に対するディランの答えが秀逸だ。

「気にしなくてもいい。あなたに何かを言っているわけじゃないから。理解できないのなら考える必要はない、あなたに向けて書かれたものじゃないから」

 ちなみに前後の会見で将来の望み、世界をどう変えたいかと聞かれたディランは詩の一節のように切り返している。

 「将来への望みはない。ただ履き替えられるだけのブーツは持っていたいと思う」

「本気で書きたければ、歌うべきだ」

 この本のもう一つのポイントはシェルトンの先見性だ。ノーベル文学賞をディランが受賞するとなったとき、歓迎と同時に少なくない反発があった。つまるところ、ミュージシャンの歌詞が本当に「文学賞」なのか?というものだ。

 シェルトンがその論争にとっくに決着をつけていた。彼は口承芸術の歴史を引きながら、ディランが達成した「とりわけ重要なのは、詩を再び大衆のもとへと引き戻した」ことだという。声に出して、読まれること。歌われることで「生命を得る詩は数知れない」と。

 ディランもまたシェルトンに詩について語っている。彼が詩について語ること、それは自身を語ることと同義になる。曰く自身でやっていることは「書くこと」であるとし、詩人についてはこう定義している。

 「詩人というのは自分で詩人と呼ばない人だと思う。自分を詩人と呼べてしまう人は詩人にはなれない。彼らはありもしない祖先のロマンスや歴史的事実に安住しているだけだ。そして周りの人間より少し高い位置にいると思いたがる」

 「本気で書きたければ、歌うべきだ」

決めつけから自由になる力

 と、ここまで書いてきてシェルトンが引き出した言葉に、いまにまで続くディランの表現活動のすべてが宿っていると思った。彼は本気で詩を書きたいから、今もバンドとともに世界を回りながら歌い、時々日本にもやってくる。

 心地よい音楽に、心地よい言葉が乗る。ポピュラーミュージックに求められる「安心感」をディランは一切考慮しない。大ベテランに期待されるヒット曲、名曲のオンパレードのようなライブもやらない。時に自分の過去も否定するように本気で歌い、書きながら常に新しい道を歩き、常に変化を続ける。

 それ自体が「詩的」な行為と言えないだろうか。ディランは「こうだ」と決めつけられることから、常に自由であろうともがいてきた。

 転がる石のような軌跡を大著はあますことなく描き出している。

(光文社ウェブサイト「本がすき。」初出をもとに加筆・修正)

記者 / ノンフィクションライター

1984年、東京都生まれ。2006年に立命館大学法学部を卒業し、同年に毎日新聞社に入社。岡山支局、大阪社会部。デジタル報道センターを経て、2016年1月にBuzzFeed Japanに移籍。2018年4月に独立し、フリーランスの記者、ノンフィクションライターとして活躍している。2011年3月11日からの歴史を生きる「個人」を記した著書『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)を出版する。デビュー作でありながら読売新聞「2017年の3冊」に選出されるなど各メディアで高い評価を得る。

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