大船渡・佐々木投手の登板回避で思い出した「あるエース」の姿

(写真:岡沢克郎/アフロ)

大きな話題となった「超高校級の登板回避」

超高校級、大船渡高校の佐々木朗希投手が県大会決勝戦の登板を回避したことが連日、大きなニュースとなっている。

「なぜ投げさせないのか」という苦情の電話が殺到しているという事実には驚いた。一方で、将来のある投手を守った監督の大英断だ、高校野球の歴史を変える出来事だという賞賛の声もある。普段は野球にあまり興味がなさそうな人から、高校野球に球数制限を設けるべきだと常々、論議を繰り返しているジャーナリスト、野球関係者まで、SNSではさまざまな意見交換がされている。それだけセンセーショナルな出来事だったのだろう。

筆者はというと、ある才能あふれたバレーボール選手と佐々木投手の姿を重ねて見ていた。だから、故障を回避しようと勇気ある決断をした監督の姿に心底安心した。いまだにそのバレーボール選手のことを思うと胸が痛むからだ。

とても主観的な記事になると思うが許してほしい。

素晴らしい才能を持ったある選手との出会い

そのバレーボール選手をここでは仮にA選手と呼ぼう。彼は10代でアンダーカテゴリーの日本代表に選ばれ、将来を嘱望されるアタッカーだった。筆者がA選手を見たのはジュニア代表の候補合宿だったと記憶しているのだが、そのしなやかな体の使い方と、豊富なジャンプ力に目が釘付けになった。これは必ずや将来、日本代表のエースになる逸材だと確信した。実際にそう感じていたのはわたしだけではなかった。メディアにも多く取り上げられていた。そしてA選手は高校を卒業して進んだ大学でも1年生からエースとして試合に出場するようになった。「彼の成長を見逃すまい」と毎試合、会場に足を運んだ。

はっきりとは覚えていないのだが、A選手に異変が起きたのは2年生か3年生くらいのときだったと思う。着地した際に踏ん張りきれず、倒れ込んだり、試合後、足を引きずって歩く姿を頻繁に見るようになった。

当時のバレーボールの大学リーグは春と秋に2度行われ、土日に2試合の連戦が組まれ、それを1カ月以上続けていた。リーグの合間にはインカレと呼ばれるトーナメント大会があり、各カテゴリーの代表合宿にも参加。おそらくしっかりとトレーニングやケアをする暇もなくリーグ戦を戦っていたために足を痛めたのだろう。本人に聞くと「監督には言っていない」と言う。すぐにきちんと話したほうがいいと勧めたが、なかなか言い出せないようだった。

その後もA選手は試合に出て、毎試合、50本近いスパイクを打っていた。着地後に倒れこむ回数があまりにも多かったため、試合の後、監督をつかまえて「A選手はケガをしているようですが、なぜ休ませないのか」と尋ねたこともあった。当時、その大学を率いていた監督は「エースは何があってもコートに立たせる」という方針の持ち主で、筆者の話を黙って聞いていたが、その後も試合に出し続けた。その大学は連覇の記録を更新し続けていたこともあり、外しにくい状況も重なってしまっていた。A選手は文字通り壊れるまで起用され続けた。

そして、とうとう手術に

とうとう痛みでどうにもならなくなり、病院で診察を受けた結果は「スネの疲労骨折」。ジャンプと着地を繰り返すうちにスネの骨が折れたのだ。サッカーのように足を使うコンタクトスポーツでは起こり得るが、バレーボールでのこの箇所の骨折は初めて見たと医師からは驚かれたらしい。

手術後、A選手のジャンプ力は元に戻ることはなかった。

手術から復帰した直後の試合を筆者は観客席から見た。前の席に座っていた関係者らしい男性2名の会話は今でも鮮明に耳に焼き付いている。

「Aのプレー見たか?」

「かわいそうにな、いい選手だったのに」

やりきれない思いで胸がいっぱいになった。

つい考えてしまう。「あの故障がなければ」

A選手はその後、Vリーグへと進み、ジャンプ力の低下を補うべく、スパイクのテクニックや守備力を磨いて所属チームのレギュラーとなった。ただし日本代表での活躍は叶わなかった。チームで主将を務め、30代序盤で現役を引退した。リーグ表彰も受けるような素晴らしい選手だった。引退の際には「なんの後悔もなく引退します」と明るい声で報告もしてくれた。

でも、「もしあの故障がなければ…」と、どうしても考えてしまう自分がいる。

そして、あのとき、わたしに何かできることはあったのか。

あれから何年も経ったが、自問自答は続いている。

本人が「後悔はない」と言っている以上、わたしには何も言えない。けっきょく記者は書いて伝えることしかできないのだとそのとき悟り、打ちのめされ、今でも教訓として心に残っている。

そんな経験をしたこともあり、故障をおして試合に出続ける選手を美談として書かないことが現在のわたしの記事を書く際のルールだ。佐々木投手の登板回避は賛否両論あるだろう。しかし、これからもわたしは自分のルールを守って粛々と取材を続けるつもりだ。