Yahoo!ニュース

乳がんステージIVと闘う亜利弥’「笑って下さい、火事で焼け出されました」〈前篇〉

藤村幸代フリーライター
「引っ越しして、ようやく落ち着いてきました」と亜利弥’(撮影:藤村幸代)

■近況報告の開口一番「焼け出されてしまったんですよ」■

 乳がんがリンパ節や肺、頚椎などに転移し、ステージIVの診断を受けた亜利弥‘(ありや・44)は、がんの進行と闘いながら今年4月に引退興行を強行、20年のプロレスラー人生に自ら区切りをつけた。

 それから半年余り経った12月初旬、都内のカフェで亜利弥’と再会した。

「すごく太ってしまったので、びっくりしないでくださいね」と前もって言われていた。引退興行の前にも「急に太ってコスチュームが入るか心配」と語っていたが、実際に会うと、たしかにそのときより少しふっくらしていた。

「不眠や断眠があるので、3月くらいから薬を調整してもらったら、副作用でいきなり22キロ増えてしまったんです。体重の増加を抑える薬と食事制限で、やっと5、6キロくらい減ってきたところ。今は1日500キロカロリーで過ごしているんですよ」

 変わらぬ笑顔だったが、声は以前より細く弱く感じられた。長い時間は割けないと、体調面など近況を尋ねようとすると、亜利弥‘から先に口を開いた。

「笑ってください。私、火事で焼け出されてしまったんですよ」

「笑ってください」が「もう、笑うしかないですよね」という諦めや開き直りの言葉であることは容易に理解できたが、返す言葉が見つからなかった。

 引退興行後の半年間は、亜利弥’にとってあまりに慌ただしく、また病状や“世間”に振り回された時間だった。

昨年1月に自主興行、今年4月に引退興行を行いプロレスにけじめをつけた。その後の半年間はまさに激動だった。(C)田栗かおる
昨年1月に自主興行、今年4月に引退興行を行いプロレスにけじめをつけた。その後の半年間はまさに激動だった。(C)田栗かおる

■試合コスチュームだけが残された■

 火災の被害を受けたのは、5月初旬のことだ。

 引退興行後、ようやく体力が回復してきたことから、亜利弥’は地元・和歌山に帰省した。引退興行では関西方面からも友人や先輩プロレスラーが応援に駆けつけてくれた。実家を拠点にできるだけ多くの人を訪ね、お礼を言おうと思っていた。

 東京の友人から「亜利弥’の家の近くが火事みたいだよ」というメールが送られてきたのは帰省翌日、和歌山から先輩レスラーのいる大阪へ向かう、午前中の駅でのことだった。

 念のため、とネットニュースを検索してみると、映像では今まさにマンションの自分の部屋から煙が噴き出している。血の気が引いた。

「家を出るときに火を消し忘れたのか、それともコンセントが原因か……本当に生きた心地がしなかった。先輩に会えないのは後ろ髪を引かれる思いでしたが、やっぱりそれどころではないと」

 東京に向かう頃には、すでに近くに住む知人から「火元は隣の部屋だった」との報告を受けていた。だが、少しの安堵も、部屋の惨状を目の当たりにしたとたん、消えてしまう。

「エアコンをつたって煙が私の部屋に充満していました。エアコンのすぐ横に二段ベッドのようなベッドがあるんですが、私はたまたま防炎シーツを使っていたので、ベッドが燃えただけで火は食い止められたみたいです。もし、防炎シーツじゃなかったら。もし、自分がベッドに寝ていたら。考えただけで怖かった。『住民の誰も亡くなっていないのが不幸中の幸いだね』と、みんななぐさめてくれて、それはたしかにその通りなんですけどね」

 大量の煙と煤で、家財道具の9割は処分せざるをえなかった。衣服で残されたのは、「もう使うこともないから」とクリーニング袋に入れたままタンスの奥に大切にしまっていた、引退興行のときのコスチュームを含め、2着のコスチュームだけだった。

 

■「一生に一回」の経験から伝えたいこと■

 ホテルで仮住まいをしながら、部屋の片づけや新居探し、区役所に提出する罹災証明書など公的手続きに負われた。

 煙だけでは火災保険が下りないといわれ、区役所から出るはずの見舞金も担当者の認識の違いから部署をたらい回しにされ、そのたびに何度も足を運んで説明し、交渉した。

 一方で、新居探しも難航を極めた。自分の病状は伝えていないのに、名前で検索されたのか「以前にも末期がんの入居者がいて大変だったから」と入居を断られたりもした。

「隣の家が火事なんて、一生に一回くらいですよね。もう笑うしかない。泣けてもこなかったです」と亜利弥‘は苦笑する。そして、「もし、誰かがその一生に一回を不幸にも体験してしまったら」と前置きをして急場の対処法を語った。

「やっぱり、とりあえず市や区の役所に行って火災後の詳細を教えてもらうことが重要で、自分から聞かなければ教えてもらうことはできません。逆に、きちんと聞けば引っ越しの助成金やお見舞い金が出たり、やむをえず捨てないといけない物は罹災証明書があれば無料で引き受けてくれたりします。一番驚いたのは、火事を出した方は責任が問われないこと。それぞれが自分の火災保険でカバーするという法律は戦後から変わっていないそうですが、火災直後にすれ違っても謝罪もされないというのはどうなんでしょうね」

 被災からの出直しを図るなか、亜利弥’は二度の放射線治療など、がんの進行とも闘っていたという。(以下、中篇につづく)

◇女子プロレスラー 乳がんステージIVからの挑戦〈前篇〉

◇女子プロレスラー 乳がんステージIVからの挑戦〈後篇〉

◇「必ずがんを叩きのめそう」先輩・北斗晶からの手紙

◇乳がんステージIVと闘う亜利弥’が引退試合「胸いっぱい、最高です」

フリーライター

神奈川ニュース映画協会、サムライTV、映像制作会社でディレクターを務め、2002年よりフリーライターに。格闘技、スポーツ、フィットネス、生き方などを取材・執筆。【著書】『ママダス!闘う娘と語る母』(情報センター出版局)、【構成】『私は居場所を見つけたい~ファイティングウーマン ライカの挑戦~』(新潮社)『負けないで!』(創出版)『走れ!助産師ボクサー』(NTT出版)『Smile!田中理恵自伝』『光と影 誰も知らない本当の武尊』『下剋上トレーナー』(以上、ベースボール・マガジン社)『へやトレ』(主婦の友社)他。横須賀市出身、三浦市在住。

藤村幸代の最近の記事