今、非常にみんな内向的な音楽になっている――日本のポピュラー音楽史を更新してきた細野晴臣が見た「コロナ禍」
約2年、ギターに触れることもなかった
コロナ禍、細野もまた出歩かない日々を過ごしていた。夜の街の様子を見るために自動車を運転すると、人のいない東京の風景があったという。約2年、ギターに触れることもなかった。 「なんかそっちに気が向かなかったですね。音楽を自分で作ろうとは、あんまり思ってなかったですね。そういう時期があることも、わりと僕には普通のことですね。部屋に戻れば、あんまり音楽も聴かないですしね」 細野の目には、コロナ禍で世界が全体主義に向かっているように映っていたという。アクリルのパーテーション越しに、タバコの煙をくゆらせながら細野が笑う。 「僕はご覧のように、喫煙者なんで、もうずいぶん前から迫害を受けてるわけですよ(笑)。そのときから、『ああ、全体主義っていうのはこういうもんだろう』と、ずっと感じてました」 1947年生まれで、1964年の東京オリンピックを体験した世代だ。今年のオリンピックとは、日本の雰囲気そのものが大きく異なっていたという。 「64年はね、国民がわりと正常な感覚でオリンピックを迎えたと思うんですよ。僕の父親がオリンピックにのめり込んでましてね、記念品を買ったり、開会式に連れていってくれたりね。選手もがんばったし、記録映画も良かったし。失ったものもあるけど、でも、みんな楽しかったと。まだ成長期の名残があったり、そういう時代背景があったんだと思うんですよね。でも、このご時世でのオリンピックっていうのは、やっぱり非常に無理があったんだろうと思うんですよね」 2021年のオリンピックでは、かつて一度認められたものが倫理上の問題で否定される「キャンセルカルチャー」がクローズアップされる事態にもなった。細野も、時代の情勢を意識して、ラジオでローズマリー・クルーニーというシンガーの「家へおいでよ」という曲を流す際には、「キャンセルカルチャーも恐れず」と一言入れたこともあった。「家へおいでよ」には、娼婦の歌だという批判もあるからだ。 「ロンドンのネットラジオが僕の番組を流してるんですよ。だから、日本だけだったらまだしも、外国の情勢を配慮しないといけないんですよ」 このままキャンセルカルチャーを意識するのだろうか、それとも本当は無視したいのだろうか。 「なるべく真ん中を行きたいんですよね。どっちかに偏らずに。その代わり、どうしても自分で道を選ばなきゃいけない。その結果、圧迫されるのは自分だろうなと思うんですよね」