愛子さま4月就職へ…貴重映像! 皇族方の様々な“就職先”~電話受ける姿や“社食カレー”も 【皇室a Moment】
先ほども紹介しましたが、三笠宮家の寛仁さまの二女、瑶子さまは、愛子さまが就職される日本赤十字社の嘱託職員として2006(平成18)年から2012(平成24)年まで働かれていました。女性皇族が「常勤」で勤務されるのは瑶子さまが初めてでした。日赤の青少年・ボランティア課でボランティアの普及、育成活動などの仕事に携わられました。週5日、電車で朝6時には出勤して、コピー用紙の補充など、仕事の準備をされていたそうですから、その姿勢に驚きます。
また、姉の彬子さまは、日本文化のご研究を生かして、京都産業大学日本文化研究所の特別教授など“教職”に就かれています。
高円宮家の長女の承子さまは、2013(平成25)年4月から、ユニセフ(国連児童基金)の国内委員会「日本ユニセフ協会」の常勤の嘱託職員として勤務されています。 ――皆さまいろんなジャンルでご活躍で、同じ女性としてもすごく刺激を受けますし、愛子さまが日赤でどんな分野を担当されるのか楽しみですね。
■卒業・中退して結婚した昭和時代
平成以降の女性皇族は働かれていますが、昭和時代まではそうではありませんでした。昭和天皇には成人に達した内親王が4人いますが、皆さん学習院を卒業・中退後に結婚し、就職しませんでした。今では“死語”でしょうが、学業を終えると“花嫁修業”をして、結婚しています。その中で、例外的な存在が、5女の清宮(すがのみや)=島津貴子さんです。
貴子さんは、結婚後、東京のホテルにあった高級服飾店に週に3日勤務してアドバイザーとして働きました。当時の新聞には、宮内庁幹部の「いくら皇族の身分から離れられたといっても、天皇陛下のお嬢さん。私企業だと宣伝に使われるおそれもあって好ましくないが……」というコメントが載っています。貴子さんはそれに対して「宮内庁からおしかりを受けてもかまいません。仕事はやります」と強い思いを話されています。 ――当時を振り返ってみますと、女性が働くこと自体があまり多くない時代でしたので、そういった点で貴子さんもチャレンジされたということですね。 ――女性皇族の就職をみてきましたが、男性皇族の方でも就職した方はいらっしゃいますか? はい。