「絶対に1番をとる」初のセンバツ優勝を狙う青森山田…プロ注目2人のエースの「想いを隠さない火花」
今年のセンバツに出場する青森山田には、揺るがぬ双璧がある。 エースナンバーを背負う関浩一郎と背番号10の櫻田朔。2人ともストレートの最速は140キロ台中盤を計測する。昨秋の東北大会を制し、「東北ナンバーワン」として甲子園を戦ううえで、監督の兜森崇朗は迷うことなくこの両右腕をチームの柱に挙げている。 「学生時代から美人で有名」大谷翔平が選んだ妻・真美子さん…関係者が明かす「ベールに包まれた素顔」 「関と櫻田の仕上がりというのが、試合の勝敗を大きく分けると思います。『2人いる』というのが重要なんです。人間ですから、1人だと注目が集中したり、負担が増してしまったりするでしょうから大変だと思うんですね。競争し合える2人がいることで、互いの成長の栄養素になれていると思います」 青森山田の二枚看板が出会い、確立されたのは必然だった。兜森は彼らが入学する時点で今の姿を想定していたのである。 プランのはじまりは、櫻田だった。 中学時代は青森山田中の硬式野球チームである青森山田シニアのエースとして、3年夏の日本選手権初優勝を支えた。それだけに「高校でもエースに」という矜持は、彼自身も当然のように持ち合わせていた。 入学直後からAチームに加わるなどキャリアのスタートは順調だったが、初めてベンチ入りした1年の秋、櫻田の野球人生に影を落とす出来事が起こる。青森県大会決勝で先発マウンドに上がり、5回無失点と上々のパフォーマンスで優勝に貢献した直後、右ひじに違和感が走ったのだ。すぐに病院で検査を行うと、医師から「クリーニング手術の必要がある」と診断され、メスを入れた。翌’23年の春先にようやく投げられるようになった矢先、今度は腰を痛めた。故障していた期間、櫻田は「すごく嫌だった」と胸中を吐露する。 「投げられない間に先輩や関が投げている姿を見るのが精神的に辛くて。ケガをしていたときも、できるトレーニングはしていたんですけど、練習の補助に回ることもあって、そういう自分も嫌でした。何度も『野球をやりたくない』って辞めそうになりました」 こんなはずじゃない――。 中学時代にエースとして日本一を経験しながら、高校では煩悶する日々を過ごしている。弱気になることも多く、電話で両親に「辞めたい」と訴えたのも一度や二度ではなかった。 「朔がどうしても辞めたいなら辞めてもいいけど、せっかく今まで頑張ってきたんだから」