「絶対に1番をとる」初のセンバツ優勝を狙う青森山田…プロ注目2人のエースの「想いを隠さない火花」
肯定も否定もせず寄り添ってくれる両親の言葉に、櫻田は徐々に前向きな自分を取り戻していったのだと明かす。 「中学から青森山田で野球をやらせてもらって親にはお金をすごく使わせてしまっているし、迷惑もかけているんで。ここから自分が野球で頑張って、プロになって恩返しをしないと『やってきたことが無駄になる』と思って立ち直れました」 マウンドから遠ざかり、心もすさんだ。ただ、ボールを握れずとも食事の改善やウエートなどに精力を注いだことで、体重が入学時の63キロから20キロ近く増量。故障が癒えると球速と球威が増した。櫻田にとってこの時期は、すべてがマイナスだったわけではなく、飛躍への糧となっていたのである。 櫻田が戦線を離れている期間、関はめきめきと頭角を現していた。ライバルと同じく1年生の秋にベンチ入りを果たすと、上級生とともに投手陣を支える存在となっていた。 中学時代に所属していた青森戸山シニアではどちらかというと無名で、関にとって櫻田は「違う世界にいる人だった」という。球速も「そんなに速くなかった」と本人は謙遜するが、シニア時代の関のボールを見た兜森は「櫻田を刺激できる」と昂揚していた。 「櫻田と甲乙つけがたいボールを投げていましたし、なにより『負けたくない』というプライドをすごく感じました。私は青森山田中学出身の選手を優遇するつもりはないですし、中学で日本一になったからといって安心させたくありませんでした。それぞれの育った環境だったり、選手として大事にしていることだったり、いいところは絶対にあるはずだから。そこを競争させながら伸ばして、勝てるチームを育成していきたいんです」 関は兜森の方針を地で行く男だった。 強豪校からも誘いがあったなか、あえて櫻田のいる青森山田を選択した理由に、兜森が称する負けん気が打ち出されていた。 「自分にとっていい腕試しができるチャンスをいただけたというか。ここで頑張れば、目指しているプロに近づけると思ったんで」 スピンの効いたストレートを生命線とする櫻田とは対照的に、関はカーブ、スライダー、チェンジアップを効果的に織り交ぜる、柔軟なピッチングを身上とする。新チームとなった2年生の秋に背番号1を託されたのも、「1年生から脱落することなく踏ん張ってくれたから」と監督に評価されたからだった。