イチローはなぜ42歳にして復調できたのか
「時間かかり過ぎだよ。この3年間はちょっと、足踏みだわね。さっと抜きたいわね」 6月15日のパドレス戦で2安打し、日米通算ながらピート・ローズの4256安打という大リーグ最多安打記録を更新した日の試合後、イチローは正直に言った。 足踏みをした3年間とは「ヤンキースに行った2年目、3年目。去年のマイアミの1年目」だそうだが、「3年間、ちょっとしんどかった」と珍しく胸の内を明かす。具体的に何が、とは言わないが、「もちろん、ちょっとリズムが明らかに変わった時期であったということは大きかったと思いますけど…」一端を口にし、こう締めくくった。 「まぁ、色々ありますよ。色々というのは大変便利な言葉で、便利に使ってますけど、ありますよ。要因は」 要因の一つが起用法であることは間違いないのではないか。2012年にヤンキースにトレードされ、移籍後に3割2分2厘という打率を残すとヤンキースと2年契約。しかし、これが試練の始まり。ヤンキースのジョー・ジラルディ監督は、現役時代から変わり者で知られ、起用に関しても不可解なところが多々ある。先日も、ある選手の起用を巡って、疑問視するヤンキースの番記者に「文句があるのか?」とくってかかった。 そのヤンキース時代の2013年8月、イチローは日米通算4000本安打を達成したが、そのとき、もう少し踏み込んで、おかれた状況を説明している。 「まず最近の一日、球場に来てからというのは、ラインナップがどうなっているのか、自分が7番ぐらいにいることが多かった時期があって、ランナップカードを下から見るクセがついていたんですよね。で、下にないと、今日はないのかと思って、上の方を見ると2番に入っていたり、ときどき1番にいたりということがあるんですけども、今日もそうで、ラインナップカードを見るまではゲームに出られるかどうか分からない。ずっとそうなんですよね。そっからなので、もちろん出発前に家でできることをやってここに来るんですけど、なかなか安定した気持ちの中でここに来ることは出来ない。今日もそうでした」 この年は、開幕戦で7番を打ち、その後、1番、2番、5番、6番、7番、8番、9番と様々な打順で起用され、一定しなかった。マリナーズ時代には、「1番・右翼」で出ることが当然で、休む場合は事前に監督から打診され、その日球場に来て驚くようなことはなかったが、ジラルディ監督のやり方は対照的。求める役割さえ明確にせず、さらにその基準も見えない。