死にゆく場所ではなく生きる場所。TSURUMIこどもホスピスで幸せな生き方を考える
誰とでも正直な会話を諦めない
── 日々、子どもたちと接する中でどんなことを意識されていますか? 西出 「こどもホスピス」のケアにかかわる姿勢は「友として寄り添う」と謳っています。「友としてって、どういうことなんやろう」と、ずいぶん考えました。
西出 私自身、今も完全に理解できているわけではないですが、サポーターではなく、子どもと同じ風景を見れる人になりたいなとは思っていて。 ホスピスで働く前から、子どもたちの本当の願いを聞きたいとは、ずっと思っているんです。病院で看護師として働いていたとき、地元を離れて、ただただきつい治療を受けて、諦めた目をして亡くなっていく子をたくさん見てきました。「この子、ほんまは何を思っていたんやろう」って想像するまでもないというか。でも、子どもたちの本音を聞けるすべがなかった。「聞いたら聞いたで、私どうするの?」って。親御さんだって、最後の希望を求めて病院に来ているのに、子どもから「もう治療を受けたくない」と聞いてしまったら、職員として、ほんまにどうしたらいいか分からない。 でも、ここでは「どうしたい?」って子どもたちに聞ける存在になりたいし、子どもの希望を聞いたら親御さんにもフィードバックできる人になりたい。そこが最終ゴールだとは思ってます。
原 子どもは親や周りの大人に気をつかって、本当に思ってることを口に出さないことが多いです。例えば体があちこち動かなくなって、だんだん寝たきりになれば「自分はそのうち死んじゃうんじゃないか」って分かるんです。だけど、そういう子が「怖い」と口にすることはほとんどない。だから僕は「こどもホスピス」では、それを聞き出してもらいたいと思っています。でも西出さん的にも「もし本音を聞いちゃったら、どうしたらいいんや」っていう思いがあるわけよね。 西出 若いときは特に思っていましたね。 子どもたちって、原先生がおっしゃったみたいに空気を読んで(本音を)言わないんです。「自分はもうすぐ死ぬんかな」とか「死んだらどうなるんかな」とか、思ってもなかなか口に出せない。しかも、その思いには悲壮感だけではなくて純粋な興味みたいな部分もあると思うんです。「天国ってほんまにあるんかな」とか。恐怖や好奇心をいだいても誰にも言えないって、すごい孤独やと思います。 原 孤独だし、深い闇でもある。そこから救い出してあげるのが僕たちの仕事だと思いますね。 高場 ちょっとミーティングっぽくなってきましたね(笑)。 原 日本でこどもホスピスが生まれてまだまだ日が浅いですから。我々は日々、こういう会話をしながら進んでいっているということを、知っていただけたら。 高場 お医者さんと患者さんの間でも、僕らと子どもたちとの間でも、こういう正直な会話が不足しているなと感じます。正直にコミュニケーションする勇気みたいなものが、日本の社会全般的に不足しているんじゃないでしょうか。「これを言ったら嫌われるかもしれない」って不安になったり、医者としての誇りを傷つけたくなかったり。いろんな立場から、みんなが同じ目線になれる努力を、私達は続けていかなくちゃいけないなと思います。 原 子どもが楽しく遊んで帰ったから我々の役目は果たされているかというと、それだけではない。答えがない世界です。