悲しきゲーム芸人、父になるーー認知症の父ががんに…フジタと父の突然の別れ #ザ・ノンフィクション #老いる社会
娘の誕生と父の旅立ち
2024年3月、出産予定日を過ぎて、ようやく妻の陣痛が始まった。 その時、フジタは立会い出産のために妻の実家に待機し、しずかさんの身を案じていた。そして、陣痛が始まって20時間…、3月31日、午後5時17分、フジタが待ちわびた初めての子ども。元気な女の赤ちゃんが産声をあげた。 その声を聞いた時、フジタの不安は一気に喜びに変わり、気が付けば、頬を涙が伝っていたという。 グループホームで暮らす父に報告できたのは、4月2日のこと。初孫の誕生を息子から電話で知らされた父が発したのは「ありがとう」の一言。ただ、その「ありがとう」は、かすかに涙声だったとフジタは言う。 そしてフジタは父の元を訪ねる約束をしたのだ。孫娘の写真を見せにいくと決めたのは6日後の4月8日。 そして、この日が、フジタ親子にとって「運命の日」になろうとは、この時は思いもしなかった。 2024年4月8日、息子が初孫の写真を持って訪ねてくる、その日がやってきた。 その前夜、フジタの父は、いつものように夕食をとり、いつものように眠りについたという。 日付が変わった午前1時、職員がトイレのために声掛けをしたときも普通に応じていたという。 異変が起きたのは午前3時過ぎ。部屋でせきこむ父を職員が訪ねると、額に脂汗をにじませながら、「ここが痛いんだよ」と言って、みぞおち付近をさすっていた。 その様子を見た職員はすぐに、事務室へ戻り、救急車を呼んだ。 そして、父の部屋へ戻ると、すでに意識を失っていたという…。 心臓マッサージを施しながら、救急隊の到着を待った職員。父の意識は戻らぬまま、救急搬送されていった。 2024年4月8日、午前4時19分。搬送先の病院で父・陽人さんは息を引き取った。 虚血性心不全、84歳だった。 息子であるフジタは、グループホームからの連絡を受け、病院に駆けつけたものの間に合わなかった。目の前に横たわる父の遺体を前に、フジタは自分の手が自然に動くのを感じたという。気が付けば、フジタは父の手を強く握りしめていた。 8歳で自分を置いて家を出ていってから初めてのこと。フジタにとってそれは、憎み続けた父を心から許すことができた瞬間だったのかもしれない…。
ハチャメチャな人生を生き、最後は認知症になって、フジタを振り回し続けた父。 その死は、フジタに何をもたらすのだろうか…。参列者のほとんどいない小さな葬儀を終えたフジタが、こっそりと私に教えてくれた。 「娘が生まれた3月31日は、母の命日なんですよね」 突然、父を失い、新しい“家族”を築こうとしているフジタ。家族というものを憎み、その一方で、家族に憧れ続けた彼にとって、ここからが本当の始まりなのかも…、と私は思った。 (取材/記事:朝川昭史)
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