〈子供の安全〉公園で子どもに声をかける大人は「不審者」か?~防犯の視点から~ 小宮信夫・立正大学教授
「犯罪者」と「不審者」を区別できるか
このように「不審者」は、もともとボタンの掛け違いから生まれた言葉なので、定義するのは困難だが、あえて「犯罪者」と「不審者」を正しく区別しようとするなら、「不審者」とは「犯罪を企てている人間」を意味すると考えられる。犯罪を企てている人間と、そうでない人間を識別することができれば、「不審者」が「犯罪者」になる前に発見できる(=犯罪予測)できるからだ。 しかし、そう定義しても、実際にはこの言葉は役に立たない。なぜなら、だれが犯罪を企てているかは、見ただけでは分からないからだ。むしろ、犯罪を企てている人間は、いかにも怪しい服装をすることはなく、できるだけ目立たないように振る舞うに違いない。要するに、「不審者」から犯罪を予測することは、実際には不可能なのだ。 ところが、子どもたちは、見ただけで「不審者」が分かると思い込んでいる。その根拠を聞くと、「サングラスをかけているから」とか「マスクをしているから」と答える。しかし、こうしたイメージは誤っている。これまでに寄せられた不審者情報(この情報自体、信頼度は低いが)を見ても、サングラスやマスクが報告されているのは一割にも満たない。
また、外見上の識別が困難な「不審者」を無理やり発見しようとすると、平均的な日本人と外見上の特徴が異なる人の中に「不審者」を求めがちになる。具体的には、外国人、ホームレス、知的障害者を「不審者」と見なしてしまう。これまでにも、中国人を見たら通報するように呼びかけるチラシを警察が配ったり、ホームレスが公園にいるので近づかないように呼びかけるメールを小学校が配信したことがあった。 さらに、地域の中で「不審者」を探そうとすると、相互不信を招くおそれもある。例えば、子どもたちは、繰り返し「不審者」に注意するように言われていると、周囲の大人を「不審者」ではないかと疑うようになる。他人を疑えば疑うほど、「不審者」のイメージは、サングラスやマスクをしている人から、普通の外見の大人に広がっていく。その結果、「不審者」は「知らない人」を意味するようになる。こうして、大人が信じられない子どもが増えれば、子どもが信じられない大人も増えていくだろう。