『ぽかぽか』で話題の「SHOW-WA」。秋元康氏のオーディション、3000人を勝ち抜いて。活動1年での紅白出場を愚直に目指す
◆不退転の決意 ―――33歳から40歳。年齢も出身地も前歴もみごとにバラバラの個性あふれる6人のメンバーだが、1年前、このオーディションにチャレンジするにあたってはそれぞれに葛藤があったという。周囲の反対などはなかったのだろうか。 青山 みんなそうですが、僕ももちろん不退転の決意で臨んでます。叔母(篠ひろ子)には、「あんたができるわけないじゃない。無理無理」と言われたんですけどね。僕は20年以上ずっとサッカーをやってきたわけですが、セカンドキャリアでは違う世界に入りたいという気持ちをずっと持っていた。来世でなりたいと思っていた歌手になれるチャンスは、今となってはなんとしてもものにしたいです。 寺田 僕は実は小さいときからずっと歌手になるのが夢でした。10代のときにはちょっぴり音楽活動をしたこともあったんです。でもラッキーなことに料理研究家としてお仕事をいただけるようになってきた。40歳を前にして「やり残している」という気持ちに決着をつけるために受けた感じです。母には「あなた、まだあきらめてなかったの?!」としぶとさに呆れられましたが。(笑) 塩田 僕もそうですね。大学生のときはオーディションを受けたら優勝して、業界に入ろうかなと思った矢先に大手の保険会社に就職の内定をいただいた。親のことを考えても、そっちに行くしかないと思ってしまって・・・。でも「歌手になりたい」という気持ちはあきらめきれてなかった。東京に転勤してからインディーズでCDを出したり、ライブをしたりとそれなりに活動はしていました。でも完全なプロではない。今回のオーディションは年齢制限もないので「ひょっとしたら夢をかなえられるかもしれないぞ」と考えて、応募しました。 山本 僕は留学していたときに、初めてエンターテインメントに触れて、エンタメの世界で仕事がしたくて、俳優とモデルをやらせていただいていたんですが、歌手はずっと憧れでしかなかった。このオーディションで、モデルをやめてその憧れの世界に飛び込むにあたっては、当たって砕けろの心境でした。 井筒 僕は小さいころに子ども向けのテレビ番組を見ていて、歌手やタレントさんに憧れてました。でも、引っ込み思案な性格で、子役になりたいなんて親にも言えなかった。だから裏方の仕事を選んだ。でもどうしてこの業界で働くことを選んだかというと、やはり芸能界に憧れがあったからそこに近い現場に身をおいていたかったんですよね。そこで最後のチャンスだと思って、立場を変えることを決心しました。 向山 僕はずっと歌の世界で生きてきたんですが、前のグループが解散するという時期にこのオーディションの話を聞き、これがラストチャンスだ!と思ったんです。このチャンスはぜひともものにしたい。だからこのメンバーになれたことはとてもうれしいです。 青山 このオーディションは、若さあふれるフレッシュなタレントを求めているのではなく、歌やダンスはもちろん大切なんだけど、それよりも、人間性、チームワーク力などのホスピタリティが大きなポイントだということだったから、心をオープンにして受けることができました。この年齢層だから、いろいろな人が集まっていましたよ。