「運がよくて受賞できた」第168回芥川賞の佐藤厚志さん会見(全文)
「荒地」という言葉に込めた思いは
記者:どうも、読売新聞の鵜飼です。おめでとうございます。 佐藤:ありがとうございます。 記者:タイトルについて伺いたいんですけども、「荒地」っていうと、災厄で流された場所っていうイメージがあるんですけど、一方で東北の中にはいろいろ、もともと災厄の前にも荒れ地だった場所とかいろいろある中で、今回、主人公は荒れ地に造園するというか、庭を植えるっていう人が出てきて。だから、「荒地」っていう言葉っていうのが、流された場所だけじゃないっていう、なんかいろんな意味を私は感じたんですけど、この「荒地」という言葉に込めた思いと、そこで造園業者というのをあらためて自分がスポットを当てたという思いについて、あらためてお伺いできればと思います。 佐藤:タイトル、亘理の風景が本当に荒涼としてるっていうわけではないんですが、僕の中に一度風景をインプットして外に出た風景というのは「荒地」というふうに表現されていて。それはもちろん主人公が見ている風景でもあって、主人公の心の中の風景が「荒地」としか言いようがないような風景を見てる。そういう意味で「荒地」という言葉を、もしかしたら実際の海辺の風景とはまた違うかもしれないんですけども、あえて使いました。 記者:その中で荒れ地に、いわゆる庭で土をいじるっていう人をやっぱり置きたかったというか。 佐藤:あ、そうですね。やっぱり植物と触れ合う、土と触れ合う、そういう人間が主人公になるっていうのは、大きい意味があるのかなと思います。
あしたもまた書店に立つのか
記者:希望を語ることが難しい時代っていう、この前、事前の会見でおっしゃってましたけども、堀江選考委員からは、最後に光っていうものを非常に感じたっていうご意見がありましたけども。堀江選考委員からは、先ほど選考委員記者会見で、ラストに光を感じたっていう評価もありましたけれども。 佐藤:あ、光、ええ。 記者:ご自身としては、希望を語る中で、難しいっていう時代の中で、その点を評価されたことについて、どのような感想があるか、教えていただければ。 佐藤:あ、それは本当にうれしいですね。最後、本当に、もしかしたら救いがないっていうふうに受け取られる方も多いかもしれないっていう気持ちはあったんですけども、そういうふうに肯定的に読んでいただいて、どうにか踏みとどまって、希望ではないけども少し光のようなものが見えるっていうふうに読んでいただいたっていうのは、すごくうれしいです、はい。 記者:最後に、あしたもまた書店のほうに立たれるんですか。 佐藤:あさってからです。 記者:あさってから。 佐藤:ええ。 記者:なんか、立つときの感じって変わりそうですか。 佐藤:いや、変わんないと思いますね。できるだけ日常どおりにこなしたいなと思ってます。 記者:そうですか。どうも、おめでとうございます。 佐藤:ありがとうございます。 司会:では最後の質問とさせていただきます。いかがでしょうか。あ、ではニコニコの方、どうぞ。