愛子さま22歳の旅立ち。誕生から紺色の袴姿での学習院大学卒業まで。皇室ジャーナリストが写真と共に振り返る
両陛下は特別な環境で育つ愛子さまに、同世代の子どもたちとの触れ合いが大切とお考えになってきた。 「普通子供は、例えば親と一緒に買い物に行くなどの日常的な営みの中で自然と他の子供と出会ったり、様々なものを見て、また、様々な刺激を受けながら育っていくものではないでしょうか。このような場所にいながら、そういう環境をどうやって作っていくかというのが大きな課題です」(皇太子殿下44歳お誕生日の会見) 外に出るとマスコミや人が集まってしまい、自然な出会いは難しかった。両陛下は東宮御所に愛子さまのお友だちを招かれるようになり、ご一緒に運動したり、縁日を開くなど工夫を惜しまなかった。愛子さまに遊びのなかからお友だちへの思いやりなど情緒を育ませたいと願われたのかもしれない。 お子さまのご年齢によって環境も変わるため、愛子さまが学習院初等科に入学されると、両陛下は皇族としての教育より学校生活や勉強を優先させたいと考えられた。1年生でできるようになった縄跳びを御所で毎日練習した結果、二重飛びができるように。愛子さまは身体を動かすことが大好きだったという。得意な教科は「国語」で、音読や漢字の書き取りを毎日なさった。
「負けず嫌いというより用意周到に取り組まれているご様子で、皇族として手本になりたいというご自覚が備わっておられるようでした。不規則登校になったこともありましたが、学習院女子中等科に進学を控えた初等科6年生の時には、受験で入学してくる外部生の存在を意識され、集中して勉強なさっていたそうです」(同級生の母親) 大量の宿題と復習や予習に追われ、深夜まで勉強して朝起きられずに学校に行けなくなったり、遅刻したりすることもあった。 学習院大学卒業前の宮内記者からの質問に回答された文書にも、中世の女流歌人を取り上げた「内親王とその和歌の研究」という題で執筆をなさった卒業論文について、「調べる資料や範囲が膨大で、一つのことを調べていると、次から次へと調べなければならない事柄が出てきてなかなか終わらず、特に締切りが近づいた昨年末は、気が遠くなるような毎日を過ごしておりました」と述べられており、探究心と何事にも丁寧に取り組まれるご性格が表れていた。 そんなご性格だからこそ、卒業後は大学院でさらに日本文学の研究を続けられるのではないかと記者たちも私も思っていたが、宮内庁は今年1月、愛子さまが日赤の嘱託職員として勤務されることが内定したと発表した。 コロナ禍で大学生活の大半は通学できなかったが、最終学年の1年間はキャンパスライフを楽しまれた。「以前は当たり前であったこれらのことがいかに尊いものであるのか、実感することとなった」と同文書でお気持ちを述べられている。 愛子さまは、常に「今」という現実を受け入れ、真摯に取り組まれてきた。これからも公務と日赤での仕事を通じて、国民に寄り添っていかれることだろう。
友納尚子