「ダークナイト」は孤立した正義、「スパイダーマン」は多様性時代の正義…映画・アニメでヒーロー像を解明(レビュー)
クリストファー・ノーラン監督『ダークナイト』が公開されたのは2008年。 「ヒーローも大変だなあ」と思った。なぜなら、悪を倒しているはずのバットマン自身が、「無法者」と呼ばれてしまうのだ。 ゴッサム・シティでは、「正義の暴力」と「悪の暴力」の境界線が崩れ、バットマンとジョーカーがコインの裏表のような存在となっていた。戦闘シーンの迫力が凄まじい分、一人になったときのバットマンの孤独も深いように見えた。 ヒーロー物語が、なぜこんな風になってしまったのか。河野真太郎『正義はどこへ行くのか 映画・アニメで読み解く「ヒーロー」』がその謎を解明している。 著者によれば、『ダークナイト』は21世紀アメリカの「孤立した正義」を表現する作品だった。そして、「法の外にいるからこそ正義をもたらしうる」伝統的なヒーロー像は、「右と左のポピュリズムの区別がつけがたくなった」トランプ時代に維持不能となる。 さらに著者は、ポストトランプ的な社会状況に応答する作品として『スパイダーマン』の最新シリーズなどを挙げ、「多様性」が一般化した時代における「正義」とヒーローの行方を考察していくのだ。 もちろん、日本のヒーローも登場する。超越的なヒーローが正義をもたらす『ウルトラマン』。より等身大なヒーローである『仮面ライダー』。近年の『シン・ウルトラマン』や『シン・仮面ライダー』が表象するものも興味深い。 [レビュアー]碓井広義(メディア文化評論家) 1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年にわたりドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶應義塾大学助教授などを経て2020年3月まで上智大学文学部新聞学科教授。著書に「少しぐらいの嘘は大目にー向田邦子の言葉」(新潮社)、「倉本聰の言葉―ドラマの中の名言」(同)、「ドラマへの遺言」(同)ほか。毎日新聞、北海道新聞、日刊ゲンダイなどで放送時評やコラムを連載中。[公式サイト]碓井広義ブログ 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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