<リオ五輪>重量級に初の金メダルをもたらした土性の強さとは?
リオ五輪の女子レスリングが3階級制覇を成し遂げた夜、宿が同室だった69kg級・土性沙羅と48kg級・登坂絵莉の2人の金メダリストの両親は、会場近くのスーパーマーケットで買ってきたビールと、日本から持参したおつまみを肴に、ささやかな祝勝会を開いた。 登坂は有言実行、土性は黙って実行と対照的な子どもたちの活躍と、まだ勝てなかったころを振り返った。レスリング選手には開けっぴろげな性格の選手が多いなか、決意は黙って実行するという土性は、親にも感情を爆発させた姿を滅多に見せてこなかった。しかし、母・祐子さんには、忘れられない泣き声がある。 「試合で負けても泣いたことなんてなかったのに、一度だけ泣きながら国際電話をしてきたことがありました。2度目の世界選手権に出て、決勝まで進んだのに負けて2位に終わった直後です。わんわん泣きながら『負けたあ、負けたあ』とだけ繰り返して、そのまま電話が切れました。あのときは、仕事の都合で応援にいけなかったんです。それ以来、娘が世界と戦うときは、姿が見えるところから応援しています」 初出場の世界選手権は、試合中のケガもあり3位に終わった。2回目の世界選手権では、その年の3月に急逝した土性の恩師でもある吉田沙保里の父・栄勝さんに優勝を誓ったのに果たせず、試合直後に「吉田先生に届けたかったのに……」と静かに涙を流していた。その静けさの裏には、母に電話で訴えたような激しさが隠れていた。 吉田沙保里の父、栄勝さんが自宅で開いていた「一志ジュニア教室」で小学校1年生のときからレスリングを始めた。 土性の父の則之さんが、県立松阪工高時代に、レスリング部顧問だった栄勝さんの指導を受けた教え子だったことから、親子2代で吉田の教えを請うことになった。叩き込まれたのは“女王”吉田沙保里を作ったタックルである。 「吉田先生には、足の位置、手の位置が1センチでも違っていたら、そのタックルはかからないと、とても細かく教えてもらいました。1日1ミリ間違っていたら、どんどん間違っていくからと、厳しく細かくです。いまの沙保里さんのタックルは、吉田先生に教えてもらったことが生きているんだと思います。沙保里さんのように速いタックルはできませんが、タックルには私なりの自信を持っています」 栄勝さんの徹底指導もあり、全国少年少女選手権や全国中学生選手権を連覇するなど活躍を始めるが、日本代表の座が近づくと、得意なはずのタックルの切れ味が鈍った。 父の則之さんが、当時の様子を振り返る。 「うちの子、タックルしてはぺしゃんとつぶされ、タックルしてはつぶされて、ちっとも勝てませんでした。つぶされるたびに客席から『頭と足を立てて!』と子どもの試合でかけるような言葉を叫んでいたこともありました。でも、高校、大学と厳しい環境で揉まれてゆくうちに、だんだん、つぶされることがなくなっていったんです」