乳がん克服し46歳で出産、芸人だいたひかるさんが語る「選択」―ネクストリボン2024
◇第2部 トークイベント「不妊治療か、がん治療か46歳で出産した私の選択」
だいたひかるさん(お笑い芸人) ◇ ◇ ◇ 38歳で結婚した。当時「卵子の老化」がメディアで取り上げられていて、自分はどうなのだろうとクリニックを受診したら「急いだほうがよい」と言われ、あれよあれよという間に本格的な不妊治療を始めていた。 それまでは毎年、区から送られてくるクーポンを利用して乳がんと子宮頸(けい)がんの検診を受けていたが、不妊治療を優先していたため1年半間隔が空いていた。不妊治療の中でも一番高度な顕微授精に挑戦していた時、受精卵の移植手術予定日に不正出血があり移植が中止になった。不意に予定が空いて思い出して受けた検診で乳がんが見つかった。40歳だった。 医師から乳房を温存する手術もあると言われたが、残した部分から再発する可能性があるので全部取ってほしいと夫に言われ、全摘手術を選んだ。リンパ節に転移があることが分かり、その後半年間抗がん薬治療を受けた。抗がん薬はつらくて痩せるイメージがあったが、自分は太ってしまった。皆さん仕事を続けながら抗がん薬治療を受けていることを知り、自分もだんだん慣れてきたこともあり、最終的には調子がよい時にはマラソンもしていた。 仕事も再開し、平穏に暮らして3年がたったころ、43歳の時に局所再発が見つかった。全適したほうの胸にまたしこりが生じたので、手術で取り除くことになった。余命200年という人はいないのだから、今ある時間を大切にしていけばよいと思うようになった。 乳がんになった時点で子どもは諦めていた。ただ、不正出血で移植を中止したので、最後の受精卵が1つ残っていた。子宮も受精卵も残っているのに、受精卵を凍結したまま自分が長生きしたら絶対後悔する。一度でよいから凍らせていた卵を温かいところに戻してあげたいと主治医に相談した。「たった一度の人生だから応援する」と言われ、乳がんのホルモン治療を中断した。30歳代から不妊治療を始めたが成功しなかったので、この年で妊娠するとは思っていなかったが、無事に妊娠し子どもはいま2歳になった。 がんになって一番つらかったのは家族に迷惑をかけたことだ。やはり家族が一番ダメージを受ける。結婚して3年目でがんになり、夫には新婚でいきなり看病をさせることになった。 乳房の再建手術もすすめられたが、なければないでそれほど不自由はない。胸がなくなっても命があればよいんじゃないかと感じている。がんを隠しながら生活する人もいるが、がんを治療しながら仕事をバリバリこなす人、長生きしている人もいる。再々発してから子どもを出産した人もいた。今は新しい治療も出てきていろいろな選択肢があるので、がんになっても絶望する必要はないと皆さんにお伝えしたい。 ネクストリボン2024 主催:公益財団法人日本対がん協会、株式会社朝日新聞社 後援:厚生労働省、経済産業省 特別協賛:アフラック生命保険株式会社 協力:日本イーライリリー株式会社、大鵬薬品工業株式会社、株式会社ルネサンス 支援:株式会社メディカルノート