医者が「干されて」学んだこと 人間関係で悩まない〝コツ〟 「他人は何も変えられない」と知った
外科医として働きながら『泣くな研修医』などのベストセラー小説を執筆する中山祐次郎さん。しかし、故郷を離れて過ごした医大生の頃は、たくさんの壁にぶつかったそうで、そんな体験をエッセイでつづっています。人間関係に悩む人へ届けたいメッセージをご紹介します。 【マンガ】「死ぬな」って言葉、「人がどんな地獄にいるか分かってない」 <中山祐次郎(なかやま・ゆうじろう):外科医、作家。1980年神奈川県生まれ。鹿児島大学医学部医学科卒。現在、神奈川県茅ヶ崎市の湘南東部総合病院外科に勤務。専門は大腸がんや鼠径ヘルニアの手術、治療、外科教育、感染管理など。『泣くな研修医』(幻冬舎)はシリーズ57万部を超えるベストセラーに。著書に『医者の本音』(SBクリエイティブ)、『俺たちは神じゃない 麻布中央病院外科』(新潮文庫)、など。二児の父> ※この記事は、中山さんの著書『医者の父が息子に綴る 人生の扉をひらく鍵』(あさま社)の抜粋を編集したものです
仲間から「干された」大学時代
横浜生まれ育ちで知り合いは一人もいなかった僕は、サークルやサッカー部に入り、なんとか鹿児島の地に馴染もうとしていた。 ところが、医学部の同級生とはどうにも馴染めない。医学部医学科は、一学年100人が6年間一つのクラスとして同じメンバーで過ごす、恐ろしく閉鎖的なところだ。 人間関係がうまくいかず、どうやらクラスで「干された」ようだった。 「干された」のはつらかった。 しかもその理由が完全に自分のせいだったから、自己嫌悪も容赦なく襲いかかってきた。 まるで暗い部屋に一人、割れたガラスの破片が敷き詰められた上に座っているような鋭い痛みがずっと続いた。僕は足を切り、ついた手のひらを切り、それでもただじっと座っていた。血は流れても、何も、どうにもできなかった。 鹿児島から離れてもう一度別の医学部を受験することも考えたが、僕の頭脳ではまず合格することはできまい。だから、ガラスの上から離れられなかった。別に孤独が好きなタイプではない。ただただ苦痛だった。 この時の経験から、僕は「干されていそうな人」を見つけたらなるべく声をかけるようにしている。 「よ、元気?」「何してんの?」「カレー好き?」 みたいな、特に意味のない会話だ。意味のない会話がどれほど孤独を癒すかを、僕は経験して知っているからだ。 僕の場合は自分が悪いことをしたから干されたのだが、人間関係にうまくいかないことは読者の皆さんにも山ほどあるだろう。今もあるだろうし、残念ながらこれからもきっとそういうことはある。 僕もたくさんの人との関係に悩んだけど、年齢を重ねるにつれ少しずつ上手になっていった。そのコツを伝えたい。万が一の時のために覚えておいてほしい、お守りのようなコツだ。