「優勝しても名前が載るのは福原愛や石川佳純だった」元卓球選手・平野早矢香が語る「卓球3姉妹」と呼ばれた舞台裏
私が全日本選手権初優勝をしても、誌面には「愛ちゃんが何回戦で負けた!」だったと語る元卓球選手の平野早矢香さん。「卓球3姉妹」と言われたなかで何を思っていたのか。(全4回中の2回) 【画像】「感情を爆発させ石川佳純選手と喜び合う姿」からプライベートで一緒に仲よくご飯を食べる様子まで 卓球3姉妹のとっておき写真(全13枚)
■「オリンピックで絶対にメダルを」が3人の共通認識だった ── 平野さんは2012年ロンドンオリンピックで、女子団体銀メダルを獲得。ロンドンオリンピック前後で変わったことはありましたか? 平野さん:ロンドンオリンピック前は、私は卓球界の中では知られた存在だったとは思うのですが、一般的には知られていませんでした。それがロンドンオリンピックを機に卓球の平野という存在がいると認識してもらえて、応援してもらえるように。
それまでの私は、(福原)愛ちゃんや(石川)佳純のように一般の方が見るようなメディアで取り上げていただく機会もほとんどありませんでした。18歳で全日本選手権初優勝をしたときも、「愛ちゃんが何回戦で負けた!」といった報道がほとんどでしたね。 ── それを目にしてどのように感じていましたか? 平野さん:そのころの卓球はマイナー競技だったので、しょうがないというか、「卓球=愛ちゃん」の時代でしたので、それが普通。「いいな~」とかそんなふうに思うこともありませんでした。私は、卓球で有名になりたいようなといった願望がまったくなくて、思っていたのは試合で目の前の選手に勝つこと。自分が強くなることや勝てなかった選手に勝てるようになること。卓球をする目的のベクトルはまったくそちらには向いていなかったので。
でも、言われてみれば優勝した映像ぐらい流してくれてもいいのにな、とか名前ぐらい載せてくれてもいいのにな、とは思っていたかも(笑)。 ── ロンドンではそんなふたりと一緒に「卓球三姉妹」として注目されましたよね。その関係性にも視線が集まりました。 平野さん:仲よかったの?悪かったの?とたくさん聞かれましたね(笑)。仲よしグループっていうような人間関係ではなくて、プロフェッショナルなチームだったと思います。
【関連記事】
- 【画像あり】「感情を爆発させ石川佳純選手と喜び合う姿」からプライベートで一緒に仲よくご飯を食べる様子まで 卓球3姉妹のとっておき写真
- 【第3回】「私に何か問題があったのか」元卓球選手・平野早矢香「流産するなんて想像もしなかった」妊娠6週目の定期検診
- 【第4回】「里帰り出産はあえて選ばなかった」産後2か月で復帰した元卓球選手・平野早矢香 夫婦で話し合った子育てと仕事の両立
- 【第1回】「卓球の鬼」と呼ばれた平野早矢香 中学から寮生活で27歳まで部屋にテレビなし「今はラケットを握りたいと思う気持ちはまったくないです」
- ダルビッシュ有の母・郁代「一緒に死のうか…」少年院まで行った次男の翔が大阪で130回以上炊き出しをするまで「変化した理由」