「リーゼント」を貫く40歳男性の知られざる日常生活。「ケンカを売られたことは一度もない」
ヤンキーに憧れていたわけではない
矢板氏がリーゼントに興味を持ったきっかけは『ジョジョの奇妙な冒険』『魁!!男塾』『ろくでなしBLUES』など、漫画のキャラクターに触発されてのことだったという。 「ヤンキーに憧れたわけではありません。あくまで守るもののために戦ったり、信念を貫くキャラクターたちへの憧れです。リーゼントは彼らの男らしさの象徴というイメージで、自分もそうなりたくてリーゼントを始めようと思いました」 まさに『ジョジョの奇妙な冒険』第4部の主人公・東方仗助のようなエピソードである。しかし、インターネットが普及していなかったこともあり、中学生だった矢板氏にリーゼントの作り方を調べる術はほとんど皆無だった。 「漫画を参考に作ることからはじめ、映画『ビー・バップ・ハイスクール』のパンフレットをブックオフで見つけて、その写真を見ながら試行錯誤。それまで整髪料もつけたことがなかったので、何を買っていいかわからなくて。いざ買ったものがいまいちでも、当時は中学生だったので、すぐには買い替えられず……。使い切るまではその整髪料で悪戦苦闘していました」
衝撃だった「氣志團のデビュー」
リーゼントにまつわる“革命”が起きたのが、矢板氏が高校2年生だった2001年。ある新聞記事を見て、全身に電流が走った。 「氣志團のデビューを伝える記事でした。『理想のリーゼントをやっている人たちがいる!』と衝撃を受け、彼らにのめり込んでいきました。そこでわかったのが、『僕の理想のリーゼントはパーマをあてないと無理』ということ。さっそく、パーマをかけてリーゼントを作ってみると、案の定理想の形にグッと近づきました。この出来事を経て、高校3年を『リーゼント元年』と自分のなかで制定したんです。ここから僕のリーゼント人生がスタートしたと思っています」 不良の髪型としてのイメージが強いリーゼント。学校や親から注意されることはなかったのだろうか。 「僕は不良ではなく、むしろ準特待生だったくらい授業も真面目に聞いていたので、学校では黙認されていました。リーゼントを始める前までは、寝癖がついたままのボサボサな頭で学校に行ってたんですよ。だから、リーゼントをはじめてから母親は『やっとヒロシ(矢板氏の本名)がクシを持つようになった』とむしろ歓迎していましたね(笑)」