「むしろ自分が力をもらっている」病院訪問に車椅子観戦者招待…カープ磯村嘉孝が自らの手で社会貢献を続ける理由〈チケット発送から駐車場の手配まで〉
シーズンオフの12月3日、磯村嘉孝はユニフォーム姿で広島県大竹市内の病院にいた。広島県の「難病診療分野別拠点病院」として難病を抱えた患者たちがいる広島西医療センターを訪れていた。 【貴重写真】白スーツの衣笠、打席でエグい殺気の前田やノムケン、胴上げされる山本浩二、痛そうな正田、炎のストッパー津田恒美などカープ名選手のレア写真を一気に見る 2022年から病院訪問や車椅子観戦者の招待を続けている。21年オフ、元選手の球団職員が転職したパーソルキャリアと日本財団がコラボした、「アスリートの可能性、価値を知ろう」という活動を行う「HEROs ACADEMIA」のオンライン講習を受けたことがきっかけだった。 「もともと弟のこともあったので、何かしたいという思いはあったのですが、自分はカープでレギュラーでもなかったですし、なかなか踏み出せなかった。でも、そこでユニフォームを着て病院を訪問することで勇気を与えられると聞いて」 磯村には3歳下の弟がいる。3歳の頃から歩行が困難となり、検査の結果「筋ジストロフィー」と診断された。中学生になったころには車いすでの生活を余儀なくされた。弟に献身的だった両親は、それでも三兄弟みんなに平等だった。兄とともに野球をしていた次男・磯村のことも惜しみなくサポートしてくれた。 「ただ、手助けが必要なだけなんです。子どものころから弟のことはすごくかわいかったし、でも家ではめちゃくちゃ生意気で。一緒にゲームをしたら、ゲームが苦手な僕がいつも負けてゲーム機をたたいていました」 祖父、父、叔父、5歳上の兄も甲子園に出場する野球一家に育った。そして磯村は甲子園出場をへて、プロ野球選手となった。弟もまた野球が好きだったからこそ、思うことがある。 「あれだけ野球が好きなのに、プレーできないことがかわいそうだと思っていた。たまに、僕が弟の運動神経などを取ってしまったのかなと思ったりもします。だからこそ、今でも弟の分も頑張りたいなと思っていますし、簡単に投げ出したり、諦めたりしたくない」
実現したいのは「笑顔の循環」
10年のドラフト5位で広島に入団した磯村は、平均在籍年数6.8年と言われるプロ野球界で14年戦ってきた。いまだ正捕手の座を射止められていないが、リーグ3連覇の時には3番手捕手としてチームを支え、代打の切り札としても重宝された。近年は若手の台頭に押されながらも、投手から信頼される捕手能力と状況に応じた打撃能力で10年連続して一軍出場を続けている。 ここまでのキャリアで磯村が公式戦で放った唯一のサヨナラ打は、弟が観戦に訪れた19年8月13日の巨人戦で生まれた。1-1の延長11回1死満塁で代打にコールされた。カウント1-1からの外角スライダーを捉え、レフトへ飛球を打ち上げた。三塁走者の鈴木誠也(現シカゴ・カブス)がタッチアップでサヨナラのホームに滑り込んだ。 磯村は一塁ベース付近でチームメートに水をかけられながら歓喜の輪の中心で喜びを爆発させた。そこで見た光景と同じように、試合後の光景も忘れられない。 「喜んでいる弟の姿もそうですし、弟だけじゃなく、その姿を見てめちゃくちゃ喜んでいる母親の姿も印象に残っている。僕が病院を訪問するようになったのも、そんな“笑顔の循環”があればいいなと思って」 講習受講を機に活動し始めたが、22年はまだコロナの不安が拭えず、オンラインでの交流会から始めた。昨年から実際に病院へ行くことができるようになり、今オフも3カ所の病院を訪問した。 「対面してすごく喜んでいる顔を見られたり、看護師さんから『最近笑顔がなかったけど、今日はすごく笑顔でした』という言葉を聞くと行って良かったなと思う。みんなめちゃくちゃカープのことが好きだし、キャッチャーについて詳しい人もいた。『来年も来てください』と言われると、その人にとって生きる活力になっているならすごくうれしい」 活動を通して自分が何かを与えている……というよりむしろ、自分が力をもらっていると感じている。だから、磯村は決して「慰問」とは表現しない。 活動はシーズンオフだけでなく、コロナ禍にあった22年はオールスターブレークにもオンライン交流会を開いた。車いす観戦者の招待も続けている。マツダスタジアムの車椅子席は席数や席種が豊富で、専用駐車場もある。バリアフリートイレは球場屋外含め24カ所設置されている。実際に観戦した母の「こんなにいい車椅子席はないし、これだけ席数があるのもすごい」という言葉も招待活動を後押しした。 車椅子の人々が観戦をためらう気持ちもわかるだけに、招待することで彼らの背中を押したかった。招待試合の設定からチケットの手配に駐車場の予約、さらには招待者へのチケット郵送まですべてひとりで行なっている。 「できることは自分でやりたい。球団にお願いすると、誰かの仕事を増やしてしまうことになる。招待試合は梅雨時期を外して、暖かい時期の週末に。車椅子で来ても困らない日を選んでいます。自分では行こうと思わない人たちに、行こうと思ってもらえたらいいなと」
【関連記事】
- 【さまざまな社会貢献】現役引退から9年…フィギュアスケート界の貴公子と言われた小塚崇彦が重機の免許を取る理由「重機の習得プロセスはジャンプに似ている」
- 【野球への恩返し】「僕は一番叶えたいことは誰にも言わない」構想5年…菊池雄星が故郷・花巻に野球施設を建設したワケ「誰かの夢を応援するって楽しいじゃないですか」
- 【貴重写真】白スーツの衣笠、打席でエグい殺気の前田やノムケン、胴上げされる山本浩二、痛そうな正田、炎のストッパー津田恒美などカープ名選手のレア写真を一気に見る
- 【惜別ノムスケ】「悔いなく終われた」先発一筋13年でついに引退を迎えたカープ野村祐輔の信念と、後輩たちが語った凄み《デビュー以来211試合連続先発登板》
- 【オフの関心事】「マー君、巨人がいいんじゃないか」NHK解説者が語る、“田中将大36歳の楽天退団”「楽天に入りたい選手が少なくなるのでは」「マー君は10勝10敗でいいから…」