恩師を殺害した西鉄バスジャック犯の少年に、5年後「つらかったね」...本当にあった「再生」の物語
事件後にたどり着いた、子どもたちの「居場所」をつくること
いずれにしても、これだけの惨状を体験したのであれば、外傷のみならず、心にも大きな傷を負って当然である。ましてや大切な人を失っているのだ。著者が「少年」に対して憎しみを抱いたとしてもまったく不思議ではなく、むしろ当然のことだろう。 そうしなかったのは、不登校の娘が抱いていた気持ちと、「少年」のそれに共通するものを感じたからなのだという。 ともあれ著者はこの事件を契機として、「少年」個人の問題ではなく、同じような悩みを抱えた子どもたちにまで視野を広げる。そして行き着いたのは、はけ口を持たない子どもたちの「居場所」をつくることだった。 不登校の子どもたちが集まる場所をつくり、いろいろな問題を抱えた子どもたちと接することにしたのだ。そしてそんな中、子どもの本音から気づきを得たりもする。 ~~~ 「居場所」を始めたばかりの頃には、「どうにかしてあげなくては」と思う私がいたのです。わざわざ来てくれている人に、何か「おもてなし」や「サービス」をしなければならない、というのが習い性になっているのでしょうか。 一方、私の思いやふるまいとは別に、来ている子どもたちには、子どもたちの感じ方があります。不登校の子どもは、大人がどのような気持ちで自分たちに向き合っているのかを敏感に感じとる子が多いようです。「何かしなければ」と思っている私は見透かされ、「俺たちは、なんもしてもらわんでよか!」とズバリ言われました。(113ページより) ~~~ 子どもたちを「ありのまま受け入れよう」と考えるようになったにもかかわらず、無意識のうちに「どうにかしてあげよう」としていた自分自身に矛盾を感じたわけである。 もちろん、そこに思い至ることができたのは、娘の不登校問題とバスジャック事件があったからなのかもしれない。とはいえ、紆余曲折を重ねながらも、こうした思いにたどり着いたことの価値は大きいのではないか。