米国担当の「うらおもて」 話の肖像画 元駐米日本大使・藤崎一郎<18>
《外務省生活の後半は米国関係が増えた》 ロンドンの国際戦略研究所、在英大使館政務参事官の後、東京に戻り、即位の礼準備事務局、中東貢献策タスクフォース、官房課長を2つやった。その後、アジア局参事官を経て在米大使館で働くことになった。次に駐米大使になることになっていた斎藤邦彦事務次官とはそれまで一緒に仕事をしたことはなかったので、川島裕アジア局長(元外務事務次官、元侍従長)が推薦したのだろう。斎藤大使は条約畑で、温厚だが勘が鋭く、ムダなことはしないので有名で、ピアノほか幅広い趣味を持ち都会的なセンスの人だった。まったく対照的な私をなぜか気に入っていただいたようで、政務公使を4年間務めた。帰国後、北米局長になり3年間務めた。 《ワシントンの政務公使の特徴は何か》 大使館の政務の仕事は、一般的にはその国の政治の報告や日本との関係だ。しかしワシントンの場合、米国が世界のあらゆることに関係しているので、おのずと世界情勢全般もフォローする。ロシアも中東も中国も北朝鮮も中南米もだ。何か起これば東京は米国政府の情報や対応を知りたいと考える。時差が13、14時間あるので米国務省、国防総省の幹部らと夜中でも電話できる関係をつくった。また沖縄普天間返還交渉など日米2国間の懸案に参画した。 《北米局長時代、「小泉・ブッシュ関係」が始まるが》 小泉純一郎首相の就任1カ月後に、ジョージ・H・ブッシュ元大統領(父)がコンドリーザ・ライス元補佐官を連れて来日し首相に会見した。同席者は3人だけ。父元大統領は、4カ月前に大統領に就任した息子ジョージ・W・ブッシュ氏の相手となる日本の新首相を見定めようと思ったのだろう。首相は会談中、映画『真昼の決闘』が好きだと言って急に立ち上がり、ゲーリー・クーパーの身ぶりをした。一瞬で相手の心を鷲(わし)づかみにした。父ブッシュ氏は目を輝かせて「あなたは息子とピッタリだ。きっといい友人になる。息子にすぐ話す」と言った。その翌月のキャンプデービッドへの招待、翌年のブッシュ大統領の訪日につながる。「将を射んと欲すれば先(ま)ず馬を射よ」と言うが、勝負どころの抑え方に感服した。 《基地問題にも携わった》