「私は父の精神疾患を支えるヤングケアラーだった」シンガーソングライター・玉城ちはる「父の自殺、過酷な試練を乗り越えて」
■「あれっ」空を見ながらボロボロボロッと涙が ── その後お亡くなりになり、その現実は受け止めがたいものだったかと想像します。 玉城さん:もちろん親ですから、ショックだとか、悲しいだとかいう感情があるんですけど、何よりホッとしたんですよ。「これでやっと解放される」と。介護とかでも親が亡くなって悲しいんだけど、やはりしんどい思いをされた方は「これでやっと終わる」という解放に安堵すると聞きますけど、まさにそれだったと思います。一方で「肉親を亡くして安心感を得る自分に問題があるのでは?」と後日、悩んでいくんですけど。
父が亡くなった直後は涙がほとんど出なくて。泣いたのは半年くらい経った、本当に何でもない日でした。バイト先から帰宅するときバスから見た空の色に見とれていると「あれっ」とボロボロボロッと涙が。「お父さん、死んでしまった」と突然、悲しみが襲ってきました。それまでは泣かなかったのに。ようやく景色を見る心の余裕がでたときに悲しみに向き合えたんでしょうね。それまでは現実に追われ、お葬式しなきゃとか、亡くなった後に判明した父の億単位の借金をどうしようと、いっぱいいっぱいでしたから。
── 追い打ちかけるように判明したお父さんの借金にも驚かれたのではないでしょうか。 玉城さん:私と妹は相続をしないことで借金放棄できたのですが、母は会社を継ぎ本当に苦労したと思います。大学に行くお金も工面できず中途退学することになり、妹は高校だけは何とか出してやりたいと、私もアルバイトなどで家計を助ける日々でした。
■「家を出なさい」と母。夢を叶えるため東京へ ── 大学を辞めざるを得なくなり家計を助けられたとのこと。
玉城さん:18歳の春から19歳のころは、当時4つぐらいバイトを掛け持ちし、朝から深夜まで働いて家計を助けていました。当時は家の中も殺伐としていましたね。そんなある日、母が「もうどこか見えないところに行ってくれ」と言ってきたんです。必死に家にお金入れてるのにすごいショックで。当時、妹からも「お姉ちゃんは恩着せがましい」と言われていました。「私はあんたたちのために高卒になり大学もやめてアルバイトしてるんだ!」というオーラを放っていたんでしょうね。