「私は父の精神疾患を支えるヤングケアラーだった」シンガーソングライター・玉城ちはる「父の自殺、過酷な試練を乗り越えて」
父が自分自身を傷つけることも怖かったし、私たちを傷つけようとすることも怖かったのですが、先ほど言ったように周りに言うと村八分になるような感覚があり、必死になって家族じゅうが「近所の人にバレてはいけない」と隠している状況で。 今考えると私自身はヤングケアラーだったと思うんです。「家族の問題だから家族で解決しないといけない」と母から言われて。「これは人に言ってはいけない」とひとりで抱え込んでいました。今振り返ると、誰かに吐き出したい、聞いてほしいという思いがあったにもかかわらず、助けの求め方がわからないし、助けを求めてはいけないという苦しみがありました。
── 当時は今のようにネットで調べることもできません。まだ高校生ですから助けてくれる大人がいない状況はつらかったですね。 玉城さん:いろんな問題が起きて1年以上たったくらいのころ、父の兄弟だけには「お父さんの状況がよくない」と伝えましたが、それまでは私と母だけでなんとかせねばと。当時、妹はまだ中学に上がったばかりだったので、心配かけないように気をつけていました。学校に行っても友達に本当の話ができないので、まるで自分が嘘つきになった気持ちになるんですよね。本当の話がしたいんですが、話すことで「父や母や妹など大切な人を傷つけるんじゃ…」という恐怖もありましたので。私も心が疲弊して、学校に行っても保健室登校をしたりしていました。
── お父さんのご兄弟も助けに加わり、少しはホッとされたのではないでしょうか? 玉城さん:そうですね。そんな矢先、父が通院していた内科の先生が「自傷も他害もあるから強制的に入院させたほうがいい」と判断。父を精神科病院に連れて行くことを決めました。でも、父はただでさえ病院へ行くことを拒んでいたので、入院させるべく父の兄弟が連れて行こうとした際に、逃げ出してしまったんです。 その後、私が大学に入学し、大学のオリエンテーションがありました。オリエンテーション参加初日に学校に電話があり先生から「ご家庭で何かあったようなのでおうちに帰ってください」と、慌ててタクシーで帰ると父は病院で危篤状態でした。