サバイバル登山から学んだこと。/執筆:服部文祥
皆さん、こんにちは。というわけで(前回参照)、できるだけ装備をシンプルにして、食料と燃料を山中で自給自足する登山をはじめることにしました。1999年のことです。 サバイバル登山家 服部文祥さんの1ヶ月限定寄稿コラム『TOWN TALK』を読む。 当初は、基本衣類と靴と剣鉈一本で山に入ってみよう、くらいまで思い詰めていたのですが、旅(移動)を考えるとそこまでシンプルなのは無理だと思い直し、結局、電気製品と精密機器は持たない、テントも持たないというところに装備は落ち着きました。食料は米を一日50㌘と黒砂糖30㌘と塩少々。鍋やタープ、寝袋、ライター、釣り具などは持つことにしました。第一回目の試みのときはこれらの装備に、山菜キノコ図鑑も加わりました。それまで食料の現地調達をしていなかった私には、山菜やキノコの知識がまったくなかったからです。装備や食料は30リットルのザックに余裕を持って収まり、全重量も一〇キロを切るほどでしたが、その中でカラー図版の山菜キノコ図鑑はそれなりの割合を占めていました。もし、知識として頭の中に入っていたら重さなどほぼないのに(最近データにもわずかなエネルギーがあることが科学的に証明されたようです)、私は知らないから重い図鑑を持ち運ばなくてはならないわけです。無知とは重くて鈍くさいことなのだと思い知りました。
そんなこんなではじめた自給自足の登山ですが、釣りは下手だし、山菜もキノコもわからないし、焚き火も慣れなくて、最初はいろいろ大変でした。食べ物が乏しいと寒く感じ、飢餓状態が長く続くと常に微熱を帯びたような状態になります。 一方で、テントもライトもなくても山で夜を過ごすことはできるし、時計がなくても困ることはほとんどなく、夏なら山の中で一定期間生き続けるのは、それほど困難ではないことがわかりました。それどころか、食料や燃料が山の中で私を待っていてくれるため、軽い荷物で長期間、山を旅することができ、身体が自由に動きます。食料を探すために山をよく見るようになり、食べ物に関する知識も増え、そして実際に山に生きるものを食べるという点で、山そのものを身体に取り込んで山と同化するともいえ、多方面から山に近づき、山と深く関わっている(登っている)という、フリークライミングと同じような効果を得ることができました。