目の前で殺された家族、でも「泣くことさえ禁止された」 ガザで人質、イスラエル人女性が振り返る50日間
「(イスラム組織)ハマスは、私たちが泣くことさえ禁止しました」―。2023年10月7日のハマスによる奇襲攻撃で拘束され、人質となったイスラエル人女性ヘン・アルモグゴールドシュタインさん(49)が4月、共同通信の電話取材に応じた。ヘンさんはイスラエル南部のキブツ(集団農場)、クファルアザで夫と長女を目の前で殺害された上、次女、長男、次男と共に捕らえられ、パレスチナ自治区ガザへ連行された。23年11月26日に解放されるまで、約50日間に及んだ人質生活。恐怖と悲しみに満ちていた過酷な日々を振り返った。(年齢は取材当時、共同通信エルサレム支局=平野雄吾) 【解説】歴史が生んだ「世紀の難問」…イスラエル、パレスチナの争いはなぜ始まった
▽常時監視下の暗闇で ガザでの拘束生活の大半、約5週間を過ごしたのが一般の集合住宅だった。地下トンネルなどで5日過ごした後、次女アガムさん(18)、長男ガルさん(12)、次男タルさん(9)と共に乗用車で集合住宅に連行され、その一室に入れられた。看守は6人。1人はヘブライ語を少し、別の1人は英語を話した。ローテーションで3~4人に見張られ、常に最低1人は部屋にいたため、寝る時間を含めてプライバシーは全くなかった。電気が利用できたのは1日1時間ほど。夕方の日没の時刻を過ぎると、部屋は暗闇に包まれた。「夜が長く、時の流れがとても遅く感じられたのを覚えています」 部屋の窓には重いカーテンが引かれ、新鮮な空気はほとんど入らない。住宅の水回りは劣悪で、洗面所の水は塩辛く、トイレの水はうまく流れなかった。ヘンさんがシャワーを浴びられたのは拘束生活の中で一度だけだった。 食事はピタパンやオリーブオイル、ザアタル(中東の香辛料)、チーズなど。拘束直後は量も十分にあったが、徐々に減っていった。時にはライスやパスタなど温かい食事も提供され、おやつにチョコレートが配られたこともあったが、それも初期のころだけだったという。
子どもたちは部屋の中にあった紙にペンで絵を描くなどして時間をつぶした。ヘンさんは「子どもたちはうまく振る舞ってくれましたが、退屈そうにしているときもあり、私にはそれがつらい時間でした」と振り返る。子どもたちが紙にヘブライ語を書いていると、看守がライターを持って近づいてきて、「ヘブライ語を書いたら燃やすぞ」と脅されたこともあった。 「毎日毎日、ガザで考えていたのは夫ナダブと長女ヤムのことでした。彼らとの生活を思い出していたんです。ところが、彼らは私に『泣くな』と強く命じました。これは精神的な虐待でした」 ▽現れた戦闘員、悲劇の朝 2023年10月7日早朝、アルモグゴールドシュタイン一家はロケット弾飛来を告げる警報で目覚めた。一家6人は、自宅での簡易シェルターも兼ねていた長女ヤムさん(20)の寝室に集まった。地元コミュニティーの連絡手段となっていたスマートフォンのアプリには、いったんはシェルターから出て自宅の窓のブラインドを閉じるよう指示があったが、すぐにシェルターに戻るよう別のメッセージを受け取った。ハマス戦闘員が侵入したとの警告も届いた。ヘンさんは夫ナダブさん(48)と共にベッドをシェルターのドア付近に動かし、外部からの侵入を防ぐバリケードにした。