川崎Fの浦和撃破新戦力は、あのボールボーイ問題バッシングを乗り越えた馬渡和彰
ヴォルティスから完全移籍した昨シーズンのサンフレッチェで、終盤戦で失速するまで首位独走を経験。そして、熱いラブコールを受けてJ1王者のユニフォームに袖を通したいま、あの一件は馬渡のサッカー人生のなかでどのような形で刻まれているのか。 「悪いことは悪いとしっかり受け止めながら、じゃあ次にどうするかというところで、人間性も含めて改善していくというか。人間力を高めていけば、サッカー選手としてだけでなく、人間としても成長していこうと思いました」 恐怖を与えてしまった中学生には、ジェフ戦後すぐに謝罪した。処分が明けた直後から変わらぬ信頼のもとでピッチに立たせ続けてくれた、リカルド・ロドリゲス監督をはじめとする、ヴォルティスに関わるすべての人々への感謝の思いを立ち居振る舞いに反映させたと馬渡は振り返る。 「失敗は誰にでもあると思う。そこから何をどう学んで、自分が行動を起こしていくか。もちろんまだまだですけど、完璧なことなんてないという前提のもとでどんなところでも、サッカーに関しても普段の練習から常に向上心というものを抱いていこうと」 ここで言及した向上心こそが、馬渡を支えてきたキーワードだった。千葉県の強豪・市立船橋高から関東大学リーグ2部の東洋大へ進学。4年次の2013年には1部へ昇格させるも、オファーが届いたのは2014シーズンからJ3へ降格することが決まっていたガイナーレ鳥取だけだった。 はい上がっていくと誓った馬渡は、すぐにレギュラーの座を獲得。2年間のプレーが評価されて2016シーズンにJ2のツエーゲン金沢へ、そして2017シーズンにはヴォルティスへ移籍。この年から指揮を執り、チームを躍進させたロドリゲス監督のもとで急成長を遂げる。
長丁場のJ2戦線で、実に38試合で先発フル出場を果たした2017シーズンの軌跡は、攻撃力を兼ね備えたサイドバックを探していたサンフレッチェの目に留まった。迎えたジュビロ磐田との第4節。後半35分から投入され、J1デビューを果たした一戦は苦い記憶とともに脳裏に刻まれている。 「緊張しすぎて、相手のFWにバックパスをしてしまった。それを考えれば、今日はまだよかったと思います。展開的にレッズに傾きそうな感じだったので、まずは守備をしっかりやって、チャンスがあれば攻撃していくスタンスでした。緊張で乳酸がいっぱい溜まりましたけど」 フロンターレもまた、右サイドバックを探していた。連覇に大きく貢献したエウシーニョが契約満了に伴って退団し、清水エスパルスへ移籍した。後継者はブラジル人のマギーニョと、サンフレッチェで4試合の出場に終わった馬渡の新加入コンビとなる。 「広島でもシーズンの終盤になって出場機会を得られるようになって、もう1年残ったほうがいいかなと思いましたけど、川崎からオファーが来たときにはあまり迷いはなかった。僕の人生はチャレンジの連続でしたので、これからもその姿勢は忘れずにいきたい」 現状ではレッズ戦で出色のプレーを見せた、27歳のマギーニョがファーストチョイスになるだろう。それでも、フロンターレからのオファーを青天の霹靂に感じ、武者震いを覚えた馬渡は、サンフレッチェ時代に抱いたもどかしさや焦燥感とは無縁の状態にある。 「僕は僕だし、マギーニョはマギーニョなので。自分に矢印を向けて、自分に何ができるのか、なぜ呼ばれたのかを考えて、川崎の新しい右サイドバックとして認めてもらえるように。王者のなかで自分が活躍する場を設けられれば、さらに上を、というところも見えてくると思うので」 フロンターレより上となれば、イコール、日本代表となる。後悔の念を刻ませた愚行を触媒として増幅され、フロンターレ入りとともに最高潮に達した向上心は、躍動感あふれるオーバーラップと得点感覚を武器とするサイドバックを新たなステージへ導こうとしている。 (文責・藤江直人/スポーツライター)