日本人のソウルフード“おにぎり”が世界を席巻!注目の専門店と、意外と深いおにぎり蘊蓄
2024年後期のNHK連続テレビ小説は『おむすび』。そして奇遇にも今、おにぎり(おむすび)が世界を巻き込み一大ブームとなっています。 日本人にとっておにぎりは、幼少期から慣れ親しんだソウルフードでしょう。しかし身近な存在すぎて、その歴史や地域ごとの違いを知らない人も多いのではないでしょうか? そこで、一般社団法人おにぎり協会で代表理事を務める中村祐介さんにおにぎりのいろはをお聞きしました。
日本初の駅弁にも、給食にも。 おにぎりの歴史
おにぎりの歴史を遡ると、形として残っている最も古いものは、約2000年前の弥生時代の遺跡にたどり着くといいます。 「石川県の旧鹿西町(現・中能登町)にある弥生時代中期の遺跡から、もち米を蒸して固めて焼かれたおにぎり状のチマキ炭化米塊(たんかまいかい)が発見されています」(おにぎり協会 代表理事・中村祐介さん、以下同) 文献として残っている最も古い記述は、奈良時代の初期。元明(げんめい)天皇の詔(みことのり)によって編纂された日本各地の『風土記』のひとつ、『常陸国風土記』に「握飯(にぎりいい)」の記述が残っています。 「握飯はいわば“にぎりめし”。当協会では、『常陸国風土記』の握飯をいまのところ現存する最古のおにぎりという言葉の初出としています。そのあとの平安時代には、蒸したもち米を握り固めた屯食(とんじき)というものがあり、これは『源氏物語』にも登場しています」 続く戦国時代には兵糧(武士の食糧)として重宝され、その後、江戸時代になり世の中が平和になると、旅の携行食や仕事(農作業)の合間の食事として食べられるようになりました。 「明治時代に宇都宮駅で、日本初の駅弁が発売されましたが、それもやっぱりおにぎりでした。また、この時代には日本初の給食も登場し、献立はおにぎり、焼き魚、漬け物だったそうです」
戦後は銀座のおにぎり店でシメる “銀おに”がブーム?
時代は大正を経て昭和に。戦後になるとおにぎり専門店が登場し、1960年前後には東京の繁華街を中心に存在していたという記録が残っています。ただし、いまとはそのニーズが異なっていたそう。 「お酒を飲んだあとに食べる、いわゆるシメのお店として使われていたようです。お店の数も、銀座などはそれなりに多かったとか。ちなみに、現存する東京最古の専門店は1954(昭和29)年創業の『おにぎり浅草宿六』です」 そして近現代史における最大級の転換点は、コンビニエンスストアの登場によりもたらされました。 「なかでも1978(昭和53)年にセブン-イレブンが考案した『パリッコフィルム』は、海苔がパリパリした手巻きおにぎりの先駆けです。その後コンビニおにぎりが拡大するきっかけにもなりました。なお、コンビニでツナマヨネーズおにぎりを初めて販売したのもセブン-イレブン。1983年のことです」 日本で1号店が開業した1974年当初から、セブン-イレブンではおにぎりを販売していたそうですが、当時、おにぎりといえば家庭で作って携帯するのが主流で、わざわざ買って食べるものではありませんでした。そんななか、パリパリ海苔の新食感おにぎりは、手作りの直巻きタイプと差別化されて人気に。 また、1985年には男女雇用機会均等法が制定(施行は1986年)されたうえ、時代とともに核家族化も進行。女性の社会進出とともに、おにぎりや弁当が“作る”から“買う”食べ物となっていったことも、コンビニおにぎりの拡大を後押ししました。