“大御所”扱いを指摘された「木村拓哉」の現在地 SMAP解散から間もなく8年も「大物すぎて変われない」
トメとか2番手でもいいのでは…
「当時の月9といえば、91年は『東京ラブストーリー』、『101回目のプロポーズ』、92年には『素顔のままで』、そして93年は『ひとつ屋根の下』などヒット作を連発中でした。W主演を任された石田さんと筒井さんはとてつもないプレッシャーを背負わされたはず。木村さんは3番手、しかも俳優として経験が浅かったこともあり、2人よりはノビノビできて、その自然体の演技が後の爆発的な人気につながったのです」(ベテラン芸能記者) 筒井は木村が主演を務めた23年4月期の月9ドラマ「風間公親-教場0-」にて、月9枠では30年ぶりに共演している。共演自体は、木村が主演した98年3月放送のTBS系のスペシャルドラマ「織田信長 天下を取ったバカ」以来となった。筒井は「教場」の撮影を振り返り、 「すごい久しぶり。TBSでやって以来だったんですけど、(木村が)すごく大御所みたいになってて、(周囲の)みんなすごく、(時代劇で殿様や代官にひれ伏すかのように)『ハァァァーー』ってやってて、(木村は)『グッモーニング』とかって言っちゃって、なんか、場違いでしたもん」 木村本人の態度は「でも気さくでした」としつつも、木村に対する周囲の過剰なまでの態度を「あれ、良くないですよ。(木村が)さみしいと思いますもん。僕、そんな気がしますもん」と強調し、木村の胸中をおもんぱかった。そのうえで、 「なんか、トメとかやればいいのにと思いますもん。主演じゃなくて、2番手とかやると、また(自分が立ってる)地点が変わるから楽しいと思いますよ。なんか、もったいないなと思って。たまに違うことやれば」 これまで、スタッフやメディア関係者の誰もが口にしなかった進言をした。 「筒井さんが言った『トメ』とは、エンドロールで最後に名前が出る人です。主演でなくても、一番格上の役者という扱いです。しかし、木村さんは96年4月期に主演した月9ドラマ『ロングバケーション』がヒットしてから、主演のオファーしか受けないことで、自身の“ブランド価値”を高めてきました。一部で筒井さんの進言を受け入れたという報道も出ましたが、そんな簡単に2番手やトメなんて、今さらできないでしょう。そもそも、若いころから主演での立ち振る舞いしか知らない。自分の意向で仕事を決めることができるようになった今、あえて売り方を変えるという選択肢はなさそうですし、そうなったらそうなったで、現場のスタッフがどう扱っていいか、もっと困惑することになりそうです」(テレビ局関係者) 結成時のメンバーで96年に脱退してオートレーサーに転身した森且行(50)も含め、SMAPはメンバーそれぞれが俳優業に力を入れていた。 「SMAPは旧ジャニーズ事務所(現SMILE-UP.)の創業者・故ジャニー喜多川氏がチーフマネジャーとなる飯島三智氏に全権を委ねました。その結果、飯島氏は、それまでのジャニーズタレントがあまり力を入れていなかった俳優業とバラエティーに力を入れることにしたのです。まず、メンバーの中で最初に頭角を現したのは森さん。CDデビュー前にもかかわらず、89年に人気コミックを実写化したドラマ『ツヨシしっかりしなさい』(日本テレビ)で初主演の座をゲットしました。その後、各メンバーも主演をこなすようになりますが、いつの間にか木村さんが抜きんでて、ドラマの主演とCMのオファーが途切れず。当然、メンバー間の収入格差も広がり、そのまま解散を迎えたのです」(同) 解散後、旧ジャニーズから所属タレントたちのマネージメント権を受け付いた新会社・STARTO ENTERTAINMENTに所属しているのは木村のみ。 「『新しい地図』の3人は俳優業をベースに映画、舞台に出演しつつ、香取さんはアートの創作活動も手掛けており、CMのオファーも安定。中居さんは司会業に専念し、最近は俳優活動もこなしていません。結局、4人は自分の適正なポジションが見つかったので、余計に仕事を広げることはなく、安定してします」(芸能記者)