石巻の新しい生態系。もやもや女子が描く「おもしろい町」
人を受け入れるには家が必要だ
自分になにができるのか模索した。できたことは、商店街で体を動かして活動すること、そこにいる人たちにかわいがられること。石巻では、再開をお手伝いした商店に居候をさせてもらっていた。そこへの居候人はどんどん増えていた。申し訳ないという気持ちもあって、居候先を移った。そのとき、ボランティアの住宅問題に気付く。ボランティアに来た人が泊まれる場所は少なく、廃墟になった病院や、自分たちで泥出しをした一軒屋に大勢で住んでいた。キャンプサイトにテントを張っている人たちもいた。トイレがないことも多く、屋根があればマシという状態だった。 「石巻災害復興支援協議会活動報告書」によると、石巻市は2011年から12年にかけて、のべ28万人のボランティアを受け入れている。一方で全壊家屋は2万2357棟、半壊は1万1021棟、一部損壊が2万364棟。東北の復興は長期化し、残ってなにかやりたいと考える人は多いのに、落ち着いて暮らせる場所はなかった。 数年経ったら今以上に移住者や若手の力が必要になるだろう。なにかやりたいという人をどう残していくか、渡邊さんは仕組みを考えた。震災の影響がなかった地域には空き家も多く、移住者を取り合っている状態だ。石巻に残りたいと考える人向けに住宅の支援はできないだろうか。直して使える場所はないか。大学で空き家問題を学んでいたので、「活用」が大事だという認識はあった。住宅地図を片手に、使えそうな空き家をしらみつぶしに探して歩いた。
ひたすら歩く、探す、つなぐ
最初に修繕した空き家は平屋の一戸建てだった。ボランティアと家主をつなぐ活動が、一般社団法人ISHINOMAKI2.0で「2.0不動産」としてプロジェクト化された。難しいシステムではない。修繕すれば住めそうな場所をひたすら探し、家主を見つけ、改修をサポートし、必要としている人に情報を提供する。 予想していたよりも空き家は少なかった。いい方向に動き始めたのは、紹介できる住居が10軒に達したころだった。家主から声をかけてもらえるようになり、地元の若者からは「住みたい」という声が出始めた。2014年には営業を再開した商店街のお茶屋さんが倉庫に使っていた2階を活用してシェアハウスにした。提供した男女共用のシェアハウスからはカップルも生まれ、結婚し、今も石巻に住む。 「自分はボランティアとしては全然ダメでした」と渡邊さんは笑顔を見せる。「だから石巻をなんとかしている、支援しているつもりなんて全くありません。むしろ石巻のほうが私を受け入れてくれ、なにかする舞台を与えてくれた。5年間過ごすことで助けていただいたなという気持ちがすごくあります」