石巻の新しい生態系。もやもや女子が描く「おもしろい町」
所属意識が希薄だから、まちづくりに興味がある
「出身はどこ?と聞かれると結構困る。埼玉県で育った期間が長いから、埼玉ですかね」 渡邊さんは大阪で生まれ、名古屋、東京と移り、高校までを埼玉で過ごした。どこに自分は帰属しているのか、土地に所属している意識が全くないから、地域や、ふるさとというものがピンとこない。だからこそ、地域、まちづくり、コミュニティに対する問いをずっともち、東京工業大学大学院に進学して都市計画を専攻した。 修士2年目、自分の存在価値や学んだスキルをどう社会に生かしていけるのか見えないまま就職活動をしていた2011年3月に東日本大震災が起きた。「人生が変わった」と渡邊さんは振り返る。盲目的に就職するんだと思っていたのに就活は延期。考える時間ができてしまった。 「普通に暮らそうと思えば暮らせるけれど、テレビは惨状を伝え、計画停電が行われ、コンビニは品不足だった。よくわからないまま不安が続いていた」。スキルもノウハウもない自分がボランティアに行ってなにができるだろうと悶々とし、「この、気持ちを鬱にしていることは本当なのか確かめたい。まちづくりを専門に勉強しているのだから、なにか役に立てないのか。少し落ち着いてみんなが町のことを考える余裕ができた頃に行こう」と思う。
「土俵が違うの、君は」
2011年5月中旬に石巻入り。中心市街地にある老舗旅館のオーナーが受け入れてくれた。地域の人たちは毎朝8時に集会所に集まり情報交換したり、物資供給したり、復旧に関する補助金の情報を自分たちで集めていた。地域の人たちの前を向いて頑張っている姿を見て、「この人たちとなにかしたい」と視点が変わった。 毎週末、夜行バスに乗って来て片付け、泥かき、時にはイベントの設営をした。何のノウハウもないので、なにができるわけでもない。もどかしかった。家や家族を失った悲しみや、生活の支援に対してなにができるのだろうか。色々な人とつながりをつくり、インタビューや調査もしていた。忙しく働く人たちは疲弊し、調査されることにも疲れていた。 ある時言われた。「みんなが忙しくしている中、君が聞いて回ってなにかしたいとかいうのは、草野球の監督がプロ野球の選手に口をだすようなものなんだよ。土俵が違うの、君は」。くやしかった。同時に気が付いた。自分が不用意に踏み込もうとしていたこと。就活につなげようという思いがどこかにあったこと。無責任な気持ちからの動きだったと。