2025年大阪万博はレガシーを残せるのか? 古市憲寿が考える、70年大阪万博との決定的違い
2025年に大阪で開催される万博のテーマは、「いのち輝く未来社会のデザイン」。 赤と青の配色が印象的な公式キャラクター、ミャクミャク(MYAKU-MYAKU)も、このコンセプトから生まれたものである。 開催地問題など様々な議論が巻き起こっているが、果たして二度目の大阪万博は成功するのだろうか? 数々の万博跡地を辿ってきた、古市憲寿と大阪万博について考えてみよう。 (※この記事は『昭和100年』から抜粋・編集したものです。)
大阪万博は成功するのか?
2025年には大阪・関西万博が控えている。 万博の事務局長である石毛博行(いしげ ひろゆき)(昭25)は「パスポートがなくても世界を旅することができ、タイムマシンがなくても未来を垣間見ることができます」と格好よく万博の意義について語る(注1)。 だがそんなことは自宅からスマートフォンですればいい。グーグルアースで世界の街を旅してもいいし、YouTubeで古代文明に関するドキュメンタリーを観れば済む話だ。なぜ万博という具体的な「場」が必要なのかという説明にはなっていない。 コンセプトに関しても、「食」のミラノ万博と比べると「いのち輝く未来社会のデザイン」はあまりにも心許ない。本来は「体験」や「モビリティ」「ライブ」など、リアルな空間でしかできないことをテーマにすべきだった(注2)。 1970年の大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」だった。現代の視点では曖昧にも思えるが、そこには小松左京(こまつ さきょう)(昭6)や加藤秀俊(かとう ひでとし)(昭5)らの議論によって育まれた人類史的な観点があった(注3)。少なくとも当時一流の知識人やクリエーターが集まり、万博のために激論を交わしていた。 (注1) 『pen特別編集号 大阪・関西万博へ行こう!』CCCメディアハウス、2023年。 (注2) もしくは「いのち輝く未来社会のデザイン」を実現するためには、レガシーという点からも、万博開催後も運用され続ける病院建設などもあり得ただろう。医療ツーリズム市場は拡大傾向にあり、インバウンドにも対応した高度医療を受けられる施設には一定の需要がある。もしくは日本では不可能な安楽死を特区として解禁したり、万博を契機に日本の死生観やタブーに挑むこともできたはずだ。 (注3) 小松左京『やぶれかぶれ青春記・大阪万博奮闘記』新潮文庫、2018年。もともと、小松や加藤、梅棹忠夫(昭-6)らは私的に万博研究を始めたが、それに目をつけた当局と合流していく。 たとえば太陽の塔の設計者である岡本太郎(おかもと たろう)(昭-15 )は、万博準備中から「人類は進歩していない」と公言してはばからなかったという。そして進歩史観をもとにした未来志向の万博に、強い違和感を抱いていた(注4)。 そこで岡本は進歩とは真反対の原初的なモチーフを万博にぶっ込んだ。それが太陽の塔を中心としたテーマ館である。万博予算を使いながら世界中から民族資料を集め、太陽の塔の地下空間に展示したのである。特に「いのり」という空間では、おびただしい数の仮面や神像が並べられた(注5)。 このような異質な思想のぶつかり合いによって、1970年万博の理念や展示は練り上げられていった。2025年万博の「いのち輝く未来社会のデザイン」に同じだけの思想的強度はあるのだろうか。 もっとも2025年万博は一定の来場者を確保することはできるだろう。地元では万博に対する関心が強いことに加えて、海外からのインバウンド需要も期待できるからだ。 2019年には来阪外国人旅行者数が1230万人に達し、2024年以降はそれを超えることが見込まれている。ハノーファー万博と違って、大阪万博は観光の「ついで」に行くことができる。会場は人気のユニバーサル・スタジオ・ジャパンとも舟で結ばれるという。 だが最大の問題は、「万博後」に対する関心が、信じられないほど希薄なことだ。 前回の大阪万博の印象が強すぎたのか、もしくはミラノ万博を反面教師にできなかったのか、2025年万博は、レガシーという面では非常に心許ない。このままでは、万博開始まで跡地利用の計画が定まっていなかったミラノを完全に踏襲してしまう。 現代の万博は来場者数だけが成功の指標ではない。この章で見てきたように、1990年代以降のメガイベントでは、短期的な入場者数ではなく、どのようなレガシーを残せるかのほうが重視される。高度成長の終わった現代社会では当然のことだろう。 だが1990年代以降の「万博の常識」を、大阪万博関係者はまるで知らないかのようだ(注6)。会場中心には藤本壮介(ふじもと そうすけ)(昭46)による巨大木造建築「リング」が建設されるが、万博終了後は取り壊して、更地にする予定だという。 そもそも大阪で万博が開催されるのは1970年に続いて二度目である。前回のレガシーである吹田市の万博記念公園で再び万博を開くという可能性もあったはずなのだ。そのほうが整備費用は低く抑えられただろう。だが大阪にはそうもいかない理由があった。(次回記事に続く) (注4) 『季刊 民族学』165号、2018年。 (注5) この時に集められた民族資料は、万博記念公園内の国立民族学博物館に収蔵されている。古今東西の人々の「日常」を垣間見ることができる。 (注6) とある日本維新の会の議員に「維新の人は本が読めないですからね」と嫌味を言ったら、黙って頷いていた。
古市 憲寿(社会学者)