「本番始まったら頭ン中が真っ白で…」今年は二人で! 朝ドラから出てきた紅白司会者たち
「朝ドラ」前後期のヒロインがふたりで……75回の歴史の中で初
今年も大みそかの風物詩「紅白歌合戦」の季節がやってきた。75回目の記念の年だが、注目は司会者。 【かわいい!】初めて紅組司会に抜擢された「朝ドラ女優」林美智子って!? 3年連続の橋本環奈は、現在放送中の朝ドラ『おむすび』のヒロイン。ギャルマインドで毎日を奮闘する米田結役を好演中だが、今年はもう一人女性司会者として前期の朝ドラ『虎に翼』の伊藤沙莉が加わる。女性の権利がまだまだ認められていなかった昭和初期の法曹界を生きる弁護士、佐田寅子を演じた。 それぞれの主題歌、『虎に翼』の『さよーならまたいつか!』の米津玄師、『おむすび』の『イルミネーション』のB‘zも特別企画枠での出場が決まり、一気に活気づいている。 前期後期のヒロインふたりで「紅白」の司会をつとめるのは、75回の歴史の中で初のことである。平成の最後の時期までの数年間で「朝ドラ=紅組司会」というイメージがついたが、それまでは決して朝ドラに出たからといって、「紅白」司会者に抜擢することはそうなかった。 ◆「紅白」紅組司会者に初めて抜擢された朝ドラ女優・林美智子 最初に「朝ドラ」女優として「紅白」紅組司会者として登場するのは、昭和40(1965)年、第16回の林美智子である。『放浪記』などの林芙美子が原作の『うず潮』が朝ドラの第4作目の作品として登場したのは昭和39(1964)年4月6日のこと。 当時は今のように一年の前期(4月から9月)と後期(10月から3月)を東京放送局と大阪局が半年ずつ交替で作るのではなく、一年通して朝ドラは放送されていた。前期後期の制作になったのは昭和50(1975)年からである。 それまではほとんどが東京局の制作だったが、はじめて大阪局が制作した作品が『うず潮』だった。 実はこの年はオリンピックが東京で開催された年である。世紀の祭典が戦後19年目にして初めてやってくる。それは日本が世界の大国のひとつにやっと復活する、大きなチャンスの到来でもあった。初の五輪の放送で一体何が起こるか皆目見当もつかない中、この年だけは大阪局に任せようという感じでもあった。大阪局にとっても新たなチャンスだった。 そこで過去3回はすでに女優として人気がある人材をヒロインにしていたが、この年からは無名の新人をヒロインに立てた。初回こそ23.2%の視聴率だったが、通年での最高視聴率は47.8%を記録して、林美智子はあっという間に国民的女優に育った。この林の成功から「朝ドラは大女優への登竜門」といわれるようになったのである。 林は朝ドラ放送中の昭和39年の「紅白」では審査員をつとめ、翌40年に放送が終わるとその人気、さらにNHKが育てた新しい顔という意味合いで「紅白」司会に抜擢された。 林に直接伺ったことがある。 「まあそれまで司会はやったことがなかったんですが、“何とかなる!”って。若かったんですね。本番始まったら頭ン中が真っ白で、ちゃんと喋ろうと思っても、とちっちゃう。そうしたらもっと焦る、いや~あの3時間は恐怖でした」 確かにそれまでの紅組の司会は黒柳徹子や中村メイコ、森光子といった達者組。林の前の2年は、それまでなかった紅組の出場歌手が司会も兼任という初の試みで、江利チエミ。彼女とてこの段階で歌手生活10年以上のベテランだった。その江利までが「もうこりごり……」というほど司会は神経が擦り切れた。 生放送の重圧の上、その場その場の臨機応変さが求められる。 「何しろ独特なんです。歌手の方たちはもちろん真剣にその一曲にかけているわけですからね。その独特な雰囲気にのみ込まれちゃったのね。こんなはずじゃないのに……と思っているうちにあっという間に時間は過ぎていってしまいました。でもいい思い出ね」(林美智子)