日本に五輪の熱気は戻るのか―パレードはなく、トップスポンサー撤退の動きも
滝口 隆司
パリ五輪が幕を閉じ、日本選手団は海外で行われた五輪として、過去最多のメダルを獲得した。しかし、以前のような凱旋(がいせん)パレードは計画されず、今大会を最後にトヨタ自動車が五輪スポンサーの契約を終了するという。3年前の東京五輪がコロナ禍で原則無観客となり、大会後には協賛社選びを巡る汚職なども発覚。その影響が尾を引く中、日本に五輪の熱気が戻ることはあるのだろうか。
海外五輪で最多メダルの要因
日本選手のメダルラッシュは大会終盤まで続き、金20、銀12、銅13の計45個のメダルを獲得。海外での五輪としては、金メダル数で2004年アテネ五輪の16個を上回り、米国、中国に次ぐ世界3位の好成績を残した。メダル総数でも16年リオデジャネイロ五輪の41個を更新することになった。 金メダルの内訳を見ると、レスリングで最多の8個を獲得し、柔道と体操が各3、フェンシングとスケートボードで各2、陸上とブレイキンで各1個を得た。他にも近代五種や馬術、飛び込みでメダリストが誕生したのは収穫だった。 日本選手団の尾県貢(おがた・みつぎ)団長が「東京五輪の選手に加え、東京五輪の活躍が励みになって新しい選手が台頭してきた。育成、強化がうまくいった」と総括の記者会見で語ったように、地元開催の五輪に向けて強化した「財産」が生かされたといえる。 東京五輪が終わった後は、日本の競技力が低下することも懸念されていたが、国のスポーツ強化に関連する予算が大幅に減額されず、年間100億円台が維持された点は大きい。さらに、ウクライナ侵攻を続けるロシアの選手が、侵攻を積極的に支持しない「中立選手」を除いて参加しなかった面も、結果的には有利に働いたといえる。
銀座の凱旋パレードは実施されず
これだけの成績なら、帰国後のパレードが開催されて不思議はなかった。メダリストによるパレードが初めて行われたのは2012年ロンドン五輪の後だった。この時は東京・銀座の沿道が約50万人で埋まったものだ。4年後のリオ五輪後は、パラリンピックのメダリストとも合同で実施し、約80万人が集まる盛況となった。 この運営を取り仕切ったのが、広告代理店だ。最大手・電通が運営するビジネス情報サイト「電通報」によると、リオ五輪後のパレードには、特別協賛として三井不動産、協賛として大和ハウス工業、ブリヂストン、トヨタ自動車、アシックス、JXエネルギー、みずほフィナンシャルグループ、味の素、日本郵政といった企業が参画した。 東京五輪後は、コロナの影響でパレードは開催できなかった。しかし、コロナの制限がなくなった今回も実施の予定はないという。運営の負担などを考慮したとされている。 広告代理店の動きは鈍く、東京五輪のスポンサー選定を巡る汚職や競技運営における談合事件が暗い影を落としている。パリ五輪に対するビジネスの盛り上がりも、以前に比べれば低いと言わざるを得ない。