アメリカ兵として「自分たちは汚名を晴らす」敵性外国人と呼ばれた日系二世『戦争通じて』忠誠を証明する悲惨さ【真珠湾攻撃から83年・戦争と差別に翻弄された日系二世兵士】
軍事施設を正確に狙うためだと思い翻訳を続けたものの、実際の空襲は、最終的に民間人を巻き込み日本の都市を焼き尽くしました。「自分たちの努力はなぜ、何のためだったのか」ダンさんは、晩年まで自問自答していました。 ダンさんは、終戦の前年、1944年にはテニアン島の作戦に参加。そこで撃墜される一機の零戦を目撃します。 ■撃墜されたのは実の弟か…、ダンさんの数奇な運命 後に、その零戦には、日本にいた実の弟・タケオさんが乗っていた可能性があることを家族からの手紙で知りました。 弟・タケオさんの戦死した場所と日付が墜落する零戦を見た日と一致していたからです。 元日系アメリカ兵士 ダン・オカさん: 「弟は日本空軍のパイロットになりました。“神風特攻隊”として訓練されていました。弟は1944年12月24日に戦死しました」 戦争を生き延びたダンさんですが、戦後、結核と精神の病を患い、7年にわたり入院を余儀なくされました。 ■「日系二世」が未来の世代に残したメッセージとは 写真家 宍戸清孝さん: 「ここにもいたし、多賀城の駐屯地にもアクネさんという方がいたし」 戦後、日系二世たちは通訳や翻訳係として来日、GHQによる占領行政にも深く関わりました。生まれ育ったアメリカと自身のルーツである日本。2つの国の間で戦争と差別に翻弄された「日系二世」多くの人がこの世を去っています。 写真家 宍戸清孝さん: 「これからは二世のメッセージを伝えていく作業かなと思います」 インタビューの最後、ダンさんが未来の世代に向けて語ったメッセージです。 日系二世元アメリカ兵 ダン・オカさん: 「私たち全員が、戦争が二度と起こらないよう懸命に働くべきです。全ての日系アメリカ人は自分たちの伝統を誇りに思い、そして、いまの場所をより良くするため地域社会で働くべきだと思います」 日系二世兵士について日本ではあまり語られることはありませんが、アメリカでは、資料館が整備されるなど後世に伝え続けようという取り組みが行われています。写真家の宍戸さんは戦後80年となる来年、写真展の開催を検討しているということです。
東北放送
【関連記事】
- 刺殺された男性の長男と結婚しながら次男とも肉体関係『異常な関係性』の一族を支配する長男の妻 父親殺害を次男に指示した「霊媒師JUN」の正体とは #1
- 『電動ドライバーで足を刺したり大便を食べさせた』殺人や死体損壊・遺棄などで逮捕された男が被害者に暴行を始めたきっかけは「自分の障害をバカにしている」同居する知人男性の首を絞め殺害、遺体をチェーンソーで切断し遺棄するまでの経緯 前編
- 「うじが膿を食べる音がするんですよピチャピチャと」炎まき散らし人を焼く“焼夷弾爆撃”その非人道的実態「一番最初に犠牲になるのは弱い立場の人たち」【仙台空襲(1)】
- 「軍の偉い人から『今夜気をつけるように』と言われた」日本軍は空襲を事前に察知していたのか?米軍がまいた「予告」ビラの謎【仙台空襲(2)】
- 「見えないように5、6人で運んだ」津波から逃れた中学生が直面した苛烈な現実“救えた命、救えなかった命”