《アルゼンチン》寄稿=水村美苗著『大使とその妻』とブラジル日系社会との関係=ブエノスアイレス在住 相川知子
「日本語の存続と多文化共生への挑戦」/水村美苗の危機意識とアイデンティティの探求
水村美苗の著書『日本語が亡びるとき』で日本語が滅びる危機に警鐘を鳴らし、世界言語としての英語の台頭、すでに母語話者がいない失われた言語やフランス語の興亡という歴史が投影され、翻訳における英語の強い影響力にどのようにあらがうべきなのかにも触れ、これは本作に通じる重要なテーマである。 海外に移住した日本人や、ブラジルをはじめ南米のコロニア(日本人移住者が定植した地域集団)で育った日系人が「いかにあるべきか」への課題とも結びついている。そして日本に「デカセギ」などで「戻り」、その後日本に定住していながら心に抱く故郷への郷愁サウダージは、すでに失われた昔の「古きよきブラジル」とのズレを感じさせる。 そして、本作の語り手が英語を母語とする外国人であり、日本語で表現するものは、崇高で美しい日本語でありつつも、どこか異質な響きを時折垣間見せる。この異質さも言語や文化の境界を超えたアイデンティティの探求を示唆している。 2030年という期限が「一方的に」つきつけられたいわゆる多文化共生の課題に向けた「グローバルな目標」を持つ「世の中」において、日本語で南米情報を発信し、日本語で南米への理解を日本人に求める、このブラジル日報もまたこの数奇な運命に翻弄されているメディアといっても過言ではないであろう。 私たちは40年前には容易に使えなかった「コミュニケーション」という用語を使って、今では新しい伝達手段の概念を持ち、技術革新の恩恵によって、インターネットを介した瞬時の従来の「伝達手段」にとどまらないコミュニケーションという術を得た。 それにもかかわらず古今東西、時代を超えて人が悩み、模索する目的はやはり似たような境地に達するためではないだろうか。技術が進歩しても私たちの心の奥底で求めるものは依然として変わらないのではないだろうか。
コロナ禍で再確認された「つながり」と揺れ動くアイデンティティ
この物語は一方で「つながり」の重要性を描き出している。2020年コロナ禍で隔離や孤立を経験した私たちにとって、再び「直接触れ合う」価値を強く再認識させてくれる。人と人が異文化の間でまた、多文化の中で向き合い、共感や理解を生み出すことは、技術が進んでも埋められない深い感情を共有する営みが叙述される。 日本文化に惹かれ、日本語を非母語としながらも巧みに操り著すケヴィンの姿は、異なる言語や文化を通じた自己探求の象徴となっている。このテーマは、コロナ禍を経て多くの人々が抱いた「自分は何者か」という問いと共鳴し、アイデンティティの再評価と歴史と文化の継承の重要性について考えさせられる。 ケヴィンが日本に抱く幻想と現実のズレは、コロナ禍で突きつけられた「理想と現実のギャップ」を思い起こさせ、失われた価値観や文化を再発見しようとする試みは、私たち自身が未来へ受け継ぐべき「本当に大切なもの」に目を向けるきっかけへ導びかれているように感じてならない。 コロナ後の新たな時代、私たちは今一度異文化ならびに多文化への共感とつながりの意義を深く認識し、登場人物の姿を通して「揺れ動く」アイデンティティというものを共有することで、変化する社会において浮遊する私たちの心の在り方を見つめなおす疑似体験を主人公と行うことができる。 水村美苗氏の文学は、さまざまな文化を繋げ、失われつつある価値感やアイデンティティを再発見、ないしは再評価する重要な役割を果たしている。
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