《アルゼンチン》寄稿=水村美苗著『大使とその妻』とブラジル日系社会との関係=ブエノスアイレス在住 相川知子
日本人とは、日本人らしさとは
私自身が90年代に当地に到着した際、同世代の日系二世や三世と接して感じたことがある。彼らが使う日本語は昭和初期あるいは明治生まれの日本人を思わせるような古風な話し方や考え方が残っており、さらに立ち振る舞いなどや日本文化に対する姿勢も古式ゆかしものだった。 そのため、日本からアルゼンチンに来て改めて日本文化を目の当たりにすることがよくあった。それに対し、血筋は完全な日系家族の中で育ちながら、今では日本食ブームもあり非日系人でも違和感なく箸を使いこなしているのに、日本食レストランでナイフとフォークを所望したりする人も少なくない。 外見はまったく日本人のように見えても、服の着こなしや表情、果ては椅子に座る足の組み方まで、全く現地の人そのものである。筆者自身もアルゼンチン人から「目を閉じればまるでその話し方や行動はアルゼンチン人そのものだ」というのを聞いて賞賛のことばと嬉々とした時期もあった。 だが、今ではアルゼンチンという国がさまざまな民族でまじりあって形成されたところなのだから、アルゼンチン人ではなくても、こういう容貌のアルゼンチンに住む人で構わないと考えている。 以前はアサードに招かれても遠慮したり、出されたままのパンを食していたのに、今ではアルゼンチン人の集まりに平然とおにぎりを持参し、梅干し入りのおにぎりの種を出すことへの注意まで教えてしまう。 また内輪受けのジョークを完全に理解できなくても調子を合わせて笑みを見せて空気を壊さないように振る舞うことから、わかりにくい話し方をするんじゃないと批判することができる。 こうした変化は「生まれた土地ではなく、母国語として言葉を話さない場所で生き抜くための通過点」であり、なかば通過儀礼に達する。 一方で、日本の伝統を家庭内で保ち続けようとする人々もいるが、材料的にも環境的にもそして言葉や文化的にもそれが難しいなかで、それに徹して時を越えた「古風な日本人」、もしくは「日本人よりも日本人らしい日本にルーツをもつ人」が出来上がることがある。 それを日本人らしいと言えば賞賛の言葉なのか侮蔑なのかそれは時と場合にもより、そしてまたそれが住んでいる土地において生き残る術として成立するかどうかは一概には言えない。
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