家族の“後始末”を代行する「レンタル家族」の実態とは?「気持ち的に楽よ。ちゃんと始末してもらえるから」
良子は、兄の散骨の手配をしてもらい、ホッと胸を撫でおろした様子だった。親族なのに冷たいと思われるかもしれないが、良子のようなパターンは、もはや遠藤にとっては、ありふれた光景だ。 ● 孤立者がいるからこそ成り立つ 「後始末」ビジネスは健全なのか 「確かに介護施設とのやり取りなどは、本来ならば、家族がやることなんです。だけど、介護施設からあんなに頻繁に連絡がきたら、気持ちがやられてしまう。 だからお金をもらって、同意を得て、代行しています。私たちはお客様にとって面倒くさいことを全部やる。お金は出す、ただ、面倒はみたくない。だから私たちのところにくるんです。裕福だけど、孤立している親族には関わりたくないという人が本当に増えています」 孤独死は、孤立者の最終地点だが、問題はその前から発生していると遠藤は言う。 孤立している人が、認知症になったり病気を患ったりすると、親族がそれを引き受けることになる。 「でも、きょうだいと何年も疎遠だったり、本人のDVや借金で離婚問題が起こってそれっきりになり、もう関わりたくないという方が多いですね。私たちが思っている以上に、親子の軋轢が修復不可能で根深いことがあるんです。 それでも親族というだけで、介護の役割を押しつけられてしまう。私たちは民生委員やケアマネにも関われない部分のクッションになっている感じです」
家族の手足となって動く遠藤が行っているのは、関係の歪みから生まれた一種の“孤立ビジネス”である。 「終活」といえば聞こえはいいが、縁なき人々の“後始末”であり、特殊清掃業者が“死後の後始末”であるならば、遠藤の場合は“生前の後始末”に他ならない。 特殊清掃業者数がうなぎ登りで伸びているのと同様に、こういった「レンタル家族」のような終活ビジネスはますますこれから需要が増していくだろう。 そして、遠藤のような疎遠となった家族の「面倒くさいこと」を「お金」で引き受ける業者は、まだ始まったばかりで試行錯誤が続いているものの、急増してくるはずだ。 確かに、遠藤が言う通り、糸が切れてしまった凧を探しあてるのが困難なように、一度絶たれた親族関係を今さら修復するのは不可能だ。 逆に、孤立した親族の“後始末”をお金で解決したり、第三者の手によって処理できたりするというのは、追い詰められた親族の救いとなることもある。 しかし、私は遠藤のビジネスに、無縁社会の成れの果てを垣間見た気がした。
菅野久美子