古田敦也が見た激動の2004年 スト決行「プロ野球再編問題」あれから20年 球界の未来は
■“前代未聞のストライキ”あれから20年…
ついに、選手会は大きな決断をします。古田さんは『もし球団を削減される決定があれば、ストライキを行います。我々も戦わなければいけない』と述べ、球団削減が決まれば選手会はストライキを行うと宣言しました。 対話を繰り返しましたが、両者の溝は埋まりませんでした。戦う選手会会長の姿に、ファンからは「がんばってください」「がんばれー」「がんばってな、絶対よ、負けたらあかんねんで」と熱いエールが送られました。 迎えた9月18日、選手会はプロ野球史上初のストライキを決行しました。選手会として苦渋の決断でした。 古田選手会長(当時) 「野球を見せられなかったことに関してお詫びを申し上げます。どうも申し訳ありませんでした。皆さんが声を上げてくれたことが力になりました。これからもファンに愛されるべく、いいプロ野球にしていきたい」 ファンからは「目先の楽しみより選手会が決断したことなので、私たちファンはついていきます」、「ファンあってのプロ野球、選手会ってのプロ野球。うちらは選手のやることを支持します」という声が聞かれました。 前代未聞のストライキを経て、事態は進展しました。近鉄とオリックスは合併し、オリックス・バファローズに。そして、50年ぶりに新球団・東北楽天ゴールデンイーグルスが誕生しました。この結果、12球団・2リーグ制は維持されることになりました。 あれから20年、今シーズンも多くのファンが球場に詰めかけています。ファンからは「(球場は)子供と一緒に見て楽しめる場所でもあり、ファンとして思い出に残るものをこれからも作ってほしい」という声も聞かれました。
■選手会長 古田が見た激動の“2004年”
改めて当時、古田さんはどのような思いで動いていたのか振り返ります。 (Q. 当時、どんな思いで動かれていたのか?) 古田さん 「ファンあってのプロ野球だと思いますが、野球ファンに向けて説明もなく、理解を求めることもなく、親会社の都合で赤字が多いからやめる、減らすというのは、やはり簡単には受け入れられませんでした」 「選手会は労働委員会から認められた労働組合なので、労働法には『経営者と団体交渉をし、誠実にしなければならない』とあります。『説明してください』ということで話し合いになんとか持ち込みましたが、『これも決まっていることだから』と全然進みませんでした。『ストライキ』という言葉が後々出てきます。三カ月後ぐらいの話ですが、苦渋の決断をせざるを得ないという形になりました」 「その間、いろんなことがあって、ファンの皆さんが声を上げて、結局買いたいという会社や受け入れてもいいという自治体もあったのに、本当に減らすのかという議論が行われました。ファンの皆さんの応援もあり、最後は楽天が新規参入した形になりました」 野村修也さん(弁護士・番組コメンテーター) 「我々法律家から見ると、ストライキはもちろん権利だからやるんだろうなと思いながらも、(プロ野球選手は)個人事業主の集まりだから(という考えで)、もしかすると実現が難しいんじゃないかという声も多かったんです。それをやりきったというのは、やはりそれだけみんなの思いが一致団結したという特別な雰囲気だったんですね」 古田さん 「ただ労働組合なので、最後の交渉でうまくいかなければ、そういうこともあり得ると思ってやっていました」