古田敦也が見た激動の2004年 スト決行「プロ野球再編問題」あれから20年 球界の未来は
■「必死で生きてきました」グラウンド内外で“最前線” 打率は3割超
(Q. 古田さん自身が労働法を勉強しながら、昼間は交渉した) 古田さん 「僕も(選手会)トップでしたが、よく分からない部分があったので、勉強しました」 球界再編問題のあった2004年、当時ヤクルトに在籍した古田さんの打撃成績は打率.306(自己6位)、24本塁打(自己2位)、79打点(自己3位)でした。 当時、古田さんは39歳。39歳での打率3割超えは史上3人目、キャッチャーとして史上初の快挙でした。 (Q. その時、どんな思いで試合をしていたのか?) 古田さん 「やはり注目度が高く、成績を落としたと言われるのも嫌だったので、すごく集中力を高めながら必死で生きていました」 松木安太郎さん 「さすが古田さんです。大谷翔平選手のようにプレッシャーが大変そうで、対抗するのはプロの選手としては最高だと思います。でも当時は相当つらかったのでは?」 古田さん 「そうですね。だから、ファンの皆さんの声もありますし、本当に球団経営サイドの話も理解はできます。ただ、未来のために球界がこんなに良くなる。そのためにやるんだという理由付けがしっかりしていれば、理解を求めることができた」 「我々には説明もなく、もう決まっていることだという話で、よく分からなかったので、こういう結果になってしまって、本当にこの時のファンの皆さんにはご迷惑をおかけしたと思います」 そして2004年以降、「球界再編問題」を乗り越え、プロ野球界では様々な変化が起きました。 (6月23日放送「サンデーLIVE!!」より)
テレビ朝日