444日の長期居座りは想定外だった…テヘラン米大使館占拠45年、映像撮った映画監督証言
【テヘラン=吉形祐司】米国とイランの対立が決定的となった1979年の在テヘラン米大使館占拠事件の発生から、今月で45年となった。当時、映像記録を担当した映画監督カマル・タブリーズィー氏(65)が4日、テヘラン市内で取材に応じ、444日の長期占拠は想定外だったと証言した。反米世論の圧力で居座りを余儀なくされた内幕を語った。
反米世論圧力で出るに出られず
タブリーズィー氏は、大使館占拠で中心的な役割を果たした「イスラム学生協会連合」の映像・写真撮影を担当した4人の学生の1人として事件を記録した。日本とイランの合作映画「風の絨毯(じゅうたん)」(2002年)の監督でもある。
タブリーズィー氏によると、決行日の79年11月4日朝、テヘラン市内の大学に集まった参加者に連合の幹部から説明があった。米大使館に突入し、米国でがん治療中の国王の身柄引き渡しを要求するのが目的だった。国王は、王政を打倒した2月のイスラム革命を前に出国していた。
「成功するとは思っていなかった。数時間で追い出されると考えていた」。タブリーズィー氏は「大使館からの発砲で学生側に死傷者が出ることが予想され、スローガンを叫びながら遺体を持ち帰ることも想定していた」と明かした。
しかし、大使館にいた米海兵隊員は発砲を禁止されていた。タブリーズィー氏は「大使館の塀を越えた学生が正門の鍵を壊し、敷地内に入ると催涙弾が発射されただけだった。1~2時間後に館員が大使館のドアを開けて我々を中に入れたが、大使館内にとどまる意図はなかった」と語った。
長期占拠が予定になかったことは、後の記録でも触れられているが、あまり語られていない。背景には反米世論が学生らを英雄にした事情があった。占拠が始まると、様々な団体が大使館前で支持集会を開き、当時の最高指導者ルホラ・ホメイニ師は占拠を「第2の革命」と称賛した。3度の食事が毎日、差し入れられた。
タブリーズィー氏は「世論の圧力があった。退去していたら非難されていただろう」と話す。学生らは、大使館から出るに出られない状況になっていた。