444日の長期居座りは想定外だった…テヘラン米大使館占拠45年、映像撮った映画監督証言
米政府の記録では、人質への手錠の使用や暴力が明らかになっている。タブリーズィー氏も「手荒なことをやった」と認めたが、「1週間~10日後には、大使館員も学生も共存する必要があると現実を受け入れた」という。やがて両者は打ち解け、「チェスやトランプを一緒に楽しんだ。他に選択肢はなかった」と振り返った。
占拠の長期化に伴い、国営テレビなどのメディアが大使館に呼び入れられた。タブリーズィー氏ら学生の記録係は役割を終え、約50日後に大使館を後にした。
タブリーズィー氏は「あの事件がなかったとしても、イランと米国の関係悪化は不可避だった」と断言する。ただ、「問題は政治指導者だ。友人や家族を大切にする気持ちなど、イラン人と米国人には共通点がある。一定期間を共に過ごせば、親友になれる」と、将来の関係改善に期待を寄せた。
元大統領の加担「なかった」
米大使館占拠事件をめぐっては、反米・保守強硬派で2005~13年に大統領だったマフムード・アフマディネジャド氏が直接関与したとする説がある。タブリーズィー氏は「彼は反対して加わらなかった」と否定した。大統領当選後に疑惑が浮上したが、米中央情報局(CIA)が「関与していなかったことがほぼ確実」と結論づけた。調査結果が証言で裏付けられた。
タブリーズィー氏によると、アフマディネジャド氏は科学・技術大学でイスラム学生協会の代表を務めていた。計画段階から米大使館占拠に反対し、決行日の説明会にも同大の学生は出席しなかった。アフマディネジャド氏は、ソ連大使館の襲撃を優先すべきだと主張していたという。
◆米大使館占拠事件=イランの首都テヘランで1979年11月4日、イラン革命を支持する反米の学生数百人が米大使館に突入。米外交官ら52人を人質に取り、81年1月20日まで444日間にわたって大使館に立てこもった。米国とイランの関係は極度に悪化し、80年4月に断交した。
カマル・タブリーズィー氏 1959年、テヘラン生まれ。テヘランの芸術大学映画・演劇学部卒業。80年から映画制作活動を開始。日本・イラン合作映画「風の絨毯」を監督。コメディー風の作品が得意で、脱獄した受刑者がイスラム教の導師に扮(ふん)して逃亡を試みる「ザ・リザード」は一時上映禁止となった。