元音大生がなぜ算数教室を設立?『天才!ヒマつぶしドリル』の作者が振り返る、寄り道多き人生
音楽の道を志した過去も
──算数の専門家である田邉先生ですが、最初は音楽の道へ進まれたと聞きました。 中高生の頃、僕はギターを弾いて作詞作曲などをしていたんです。よく人前で歌ったりして、今考えると本当に恥ずかしいのですが。(笑) 高校2年の頃、モーツァルトを題材にした『アマデウス』という映画を観て、「かっこいい!」と感動したんです。「自分もモーツァルトになろう!」と音大を目指すことにしました。x 無事に名古屋音楽大学の声楽科に入学したものの、そこで自分が音痴であることに気が付いて。(笑) 失った自信を何かで埋めて自分を保たねばと、大学をやめてブラジルに行くことに決めました。当時ワールドミュージックが流行っていて、ラテン系の音楽が好きだったので、そっちの方向を極めようとしたんですね。 しかし、いざブラジルに行ったら、本当に怖くて。 実弾が飛ぶこともあるし、経済も機能していない。サンパウロにある日本街の暗い雰囲気にも怯えてしまって。 ホテルで眠れぬ夜を過ごしていた時に、ふと「ここって日本の反対側なんだよな」と思ったら、帰りたくなってしまったんです。 しかし、「もう一生戻らない」と言って日本を経ったので、そのまま帰るのはかっこ悪いなと。 そこでたまたま道ゆく日本人を見かけて、声をかけてみたら、彼は大学生だったんです。「彼が大学に行けるなら自分も行ける」と思い、自分も大学を目指すことにしました。 これが、音大を中退し、ニューヨークの大学に入学した経緯です。結構めちゃくちゃですね。(笑) ──ご両親は何も言わず見守っていたのでしょうか? そうですね。えらいですよね。なので僕も自分の子どもが「留学したい」と言ったら、ダメだとは言えませんね。(笑)
塾の原点となったアメリカでの学校生活
──アメリカでの大学生活はいかがでしたか? 日本の学校は、意見を言うと、先生からもクラスメイトからも「黙っていろ」という圧をかけられるので居心地が悪かったんです。でもアメリカは違って、授業で自分の意見を言うと、大変褒められるんですよね。 日本は数学のレベルが高いので、その知識や裏技を披露すると拍手喝采で。「先生と代われよ!」と、教壇に立たされたこともあり、何でもありだなと衝撃を受けました。日本でよく見る、授業の初めにみんなで挨拶するような風習もなかったですね。 帰国して塾を開くことになったときに、「アメリカの学校のような雰囲気でやろう」と決めました。 当時は時間割もなく、空いてる時間に来て好きなように勉強して、という塾にしていました。 今は僕一人でやっているわけではないので、スタイルは少しずつ変わってきましたけどね。一人だったら何をやっても怒られないので好き勝手出来ますが、そういうわけにはいきませんし。(笑) でも、アメリカから学んだ自由な空気は、今も健在ですよ。 (取材・文:nobico編集部 中野セコリ)
田邉亨