トランプ大統領と大相撲を結ぶもの――「暴れん坊」と「武の原理」
帝国と国際
さて国家間の「武の原理」について考えてみよう。 たとえばカエサル時代のローマや、政(始皇帝)時代の秦など、ある強力な国が帝国的な拡大統一に向かう時期には、それまでの国家間のルールは通用しない。集団も個人も、歴史的変革の時期であることを認識して強国の「武の原理」に従わなければ生き延びることができない。場合によっては帝国の統一による平和な時代が来る。「パックス・ロマーナ」とはそういうことだ。 しかしそういった帝国は、古代、中世における一つの文化圏としての世界では実現しても、あるいはスペインやイギリスのように海洋を介した植民地帝国としては実現しても、近代における全体的な世界では実現しないことを歴史が示している。ナポレオンのフランスも、ヒトラーのドイツも、スターリンのソビエトも失敗した。つまり利害が関係する領域が拡大し、文化の多様性が拡大した近代世界では、相互破壊の消耗を避ける国家間の平和協調が第一原理なのだ。第一次世界大戦後にアメリカの大統領だったウッドロウ・ウィルソンが提唱した国連精神である(ただし、そのアメリカは国際連盟に参加しなかった)。 以後、特殊な時代と国家を除いて、世界の主要国は、基本的に国際協調による平和維持を旨としてきた。しかしゲリラやテロを含め、地域的な戦闘が絶え間なくあるのも現実だ。国連が武力をもたない以上、いくつかの強い国が世界の警察的役割を負担する必要がある。現実にはアメリカ合衆国という、武力において突出した国家に頼るところが大きかったのである。 しかしトランプはこの「世界の警察役」をやめるという。そしてその突出した武力を自国の利益のために発動するという。実際にアメリカの脅威となる勢力を叩き、台頭する勢力を抑え込み、味方と思われる国からは安全保障の見返りを要求している。つまり帝国規模の「武の原理」を、自国の利のために使うということで、かつて帝国主義時代に行われた国家間闘争を再び招来する印象もある。