トランプ大統領と大相撲を結ぶもの――「暴れん坊」と「武の原理」
「暴れん坊」の政治手法
実現不可能と思われる公約を次々とぶち上げ、自分さえ本当になるとは思わなかったフシもあるトランプ候補だったが、アメリカ人は彼を大統領に選んだ。以後、世界は暴風に見舞われたように、国際協調主義から自国第一主義に振れ、イギリスはEU離脱、フランスでもドイツでもイタリアでも右翼政党が票を伸ばし、ロシアも中国も軍事強化、日本はアメリカとの同盟強化と、パワー・ポリティックス(武力を背景とする政治手法)に向かった。大統領となったトランプは、不法移民は容赦なく取り締まり、シリアにはミサイルを撃ち込み、イランと北朝鮮には経済制裁で核廃棄を迫り、中国には経済と軍事と情報が絡んだ総合対決姿勢を取っている。 いってみれば「暴れん坊政治」だ。 常にファイティングポーズを崩さず、武力を背景にして相手に譲歩を迫る。他国にとってはまことに困った存在であるが、メリットがないわけではない。イスラム国はほぼ壊滅し、北朝鮮は一応非核化に向けて歩みを進めるという選択肢をとり、中国の台頭は抑えられつつある。見方によっては、暴れん坊ならではの効果も上がっているのだ。 協調主義と平和主義では、現状の秩序を変えようと無理押しする勢力を抑えることは難しい。暴れん坊政治が、先延ばしされていた問題を浮かび上がらせ、強く迫ることによって、有益な結果を生む可能性はある。
相撲は「暴れん坊」の文化
相撲界ではたびたび暴力事件が起きる。このところモンゴル力士関連が多いが、もともと相撲界そのものの体質である。 100キロをはるかに超える体重の人間が頭からぶつかり、平手打ち、肘打ち、けたぐり、ぶん投げ、何でもありだ。アメフトはヘルメットを着用し、ボクシングはグローブをつけ、レスリングは殴ったり蹴ったりしない。そういった競技と比べて、相撲は体重制もなく、プロテクターなしどころか褌一丁、きわめて危険な競技である。他のスポーツでは怪我をすれば治療に専念するが、相撲界では「土俵の怪我は土俵で治せ」というのだから乱暴だ。第一、ルールが曖昧で「張り差し」「カチ上げ」「ダメ押し」が問題になって「横綱の品格」という言葉が登場する。その上「相撲部屋」というものがブラックボックス、近代的な組織とはとても言い難い。「親方」という言葉は「親分」に近いではないか。 相撲は日本の前近代的「暴れん坊文化」なのだ。だからこその伝統であり、だからこその人気がある。 もちろん何かあればマスコミの批判を受けて改革が叫ばれ、やたらに委員会が組織される。今の時代、改革となれば近代化、民主化に向かわざるを得ないのだが、相撲はスポーツではなく文化であるという議論になって伝統が優先される。大体において日本の委員会は、関係者によって選ばれた保守的な有識者がメンバーで、本格的な改革を怠るための隠れ蓑となっているところがある。 「暴れん坊政治」と「暴れん坊文化」、両国(国技館)でこの二つがぶつかるのだ。