ハードルが高い?高飛車?京都・花街「一見さんお断り」の本当の意味とは?
京都で祇園や先斗(ぽんと)町といった花街にあるお茶屋さんのほとんどは「一見さんお断り」、すなわち誰かの紹介がなければ入ることができません。このため、多くの人は「敷居が高い」とか「お高くとまっている」という印象があるのではないでしょうか。好意的に見ても「ひいきのお客さんを大切にするから」というぐらいの理解しかないと思います。 ところがこの「一見さんお断り」というのは別に排他的だったり“格式を重んじる”といったりする理由ではなく、極めて合理的な理由から生まれたシステムなのです。それを理解するには花街のビジネスの仕組みを理解する必要があります。ちなみにこの花街という言葉、多くの人は“はなまち”と読んでいるようですが、正しくは“かがい”です。なぜ“はなまち”というようになったかというと、おそらく昔流行った歌謡曲「円山・花町・母の町」やその後に流行った演歌「花街の母」などの影響ではないかと思うのです。 それはちょっと横に置いておいて本題に戻り、このお茶屋というシステム、一体どんな仕組みになっているのかお話ししましょう。(解説:経済コラムニスト、大江英樹)
「一見さんお断り」は、じつは合理的システム
お茶屋というビジネスは基本的には貸席業です。自分のところでは、料理もつくらなければ芸妓さんや舞妓さんも置いているわけではありません。お客が来ると、料理は料理屋から取り寄せ、置屋から芸妓さんや舞妓さんを呼びます。花街のことを別名三業地とも言いますが、これはお茶屋、料理屋、置屋の三つの業から街が成り立っていると言う意味なのです。 ところが、このお茶屋の女将さんというのは結構大きな力を持っています。芸妓や舞妓がお茶屋にあがるはかならず“お母さん、おおきに”と挨拶をするし、舞妓がデビューするときも必ず、お茶屋のお女将さんに挨拶をしてまわります。ではなぜ、単に席を貸すだけのお茶屋の女将さんがそんなに力を持っているのでしょう。一言で言えば、女将さんというのはプロデューサーだからです。 “お茶屋”というのは、単に貸席業というだけではなく、花街におけるあらゆるエンターテインメントのエージェント的な役割を果たしているのです。 お客が食べたいというものを取り寄せ、お客の好みに合わせて唄や踊りの上手い芸妓を呼び、お茶屋で遊んだあと、ちょっとどこかで飲みたいといえば、クラブやスナックを紹介してくれます。さらにそれが接待なのかプライベートなのか、どの程度の気楽さなのかも判断し、お客が最も快適に過ごせるように気を配って全てを手配するのです。帰りのタクシーやハイヤーは言うに及ばず、もし東京から来ているのであれば、帰りの新幹線の切符の予約に至るまで、全て女将が差配してくれます。しかも、それらの支払の多くはお茶屋が立て替えるのです。料理や飲み代、芸舞妓さんへの花代はもちろんのこと、なじみのお客になるとタクシーや新幹線代まで全てお茶屋が立て替えて支払ってくれることもあります。 いわばすべてが掛け売りのシステムで、その場で現金やカードで支払うわけではありませんからお茶屋はリスクを負うことになります。当然初めてのお客にこんなことができるはずはありません。しかるべき紹介者によって身元の確かな先でないと、掛け売りは困難です。したがってこの「一見さんお断り」は一種のリスク回避のための仕組みです。