川崎に別れを告げた鬼木達監督、みたかった世界的強豪との真剣勝負
サッカーJ1川崎の鬼木達(とおる)監督(50)が、8日のJ1最終節を最後に栄光の日々を過ごしたクラブに別れを告げた。30年をこえる歴史があるJリーグで史上最強とも称されるチームを作り上げながら、最後までこじ開けられなかったのは世界への扉。Jリーグが生んだ〝最高傑作〟の到達点を知る意味でも、世界的強豪との真剣勝負をみてみたかったファンは多いに違いない。 ■届かなかった世界 2017年に川崎の指揮官に就任した鬼木監督は8シーズンでJ1を4度、天皇杯を2度、YBCルヴァン・カップを1度制覇。これだけタイトルを荒稼ぎしても、世界の強豪が集うクラブワールドカップ(W杯)への出場権を得るアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)は頂点に立てなかった。最高成績は初挑戦だった17年の8強で、以降は18、19年が1次リーグ敗退、21年が16強、22年が1次リーグ敗退、開幕が春から秋へ移行した23~24年が16強。Jリーグでの突出ぶりを考えると、信じがたい結果が続いた。 チーム力が最も充実していたのは21年大会だったか。4-3-3を基本布陣とし、主力はGKが鄭成龍、最終ラインが登里享平(C大阪)、谷口彰悟(シントトロイデン)、ジェジエウ、山根視来(ギャラクシー)ら、中盤が田中碧(リーズ)、脇坂泰斗、旗手怜央(セルティック)ら、前線がレアンドロダミアン、三笘薫(ブライトン)、家長昭博ら。シーズン中に三笘や田中の移籍があったとはいえ、目もくらむばかりの豪華な陣容だった。 個々の高い技術と組織的なポジショニングの巧みさでボール保持率を高め、主導権を握って押し込むのが川崎スタイル。ボールを失えば前線からの積極的なプレスで素早く奪い返して波状攻撃へつなげる戦い方は、世界的な強豪の多くに通じると思わせる迫力があった。それでもアジアの壁は高く、世界への挑戦権をつかむことはできなかった。 ■心残りは新天地で サッカーファンの多くは、絶頂期の川崎が世界最高峰の欧州チャンピオンズリーグ(CL)を筆頭に各大陸王者が集結するクラブW杯に挑むのを待ち望んでいた。十分に戦える期待感もあった。当時の川崎であれば、世界がJリーグや日本サッカーに抱くイメージを大きく変える可能性も秘めていただけに悔やまれる。